キャプテン翼の小学生編の中、三上コーチとともに若林源三は西ドイツに渡る決心をします。
そして大空翼を筆頭にサッカーボールに寄せ書きをすると、「今度会う時は全日本で」と記しましたよね。
そう、今でこそサッカーに限らず日本代表という呼び方をしますが、1980年代までは「全日本」という名称が一般的でした。
いつから名称が変更になったのか、僕個人記憶にないのですが全日本という言葉と「日の丸」という名称の方が強かったことだけは確かでしょう。
全日本というとどこかで猛練習だとか、コーチ陣からの厳しい叱責、長時間の拘束など何かしらのきな臭さが感じられます。(少なくとも僕は)
実際1980年代、日本でプロのリーグは野球しかなく、仮にバレーボールが(今でもプロリーグはありませんが)プロ化していれば、五輪や世界選手権のメダルは常に射程距離だったかもしれません。
つまり、イタリアのようにプロリーグを発足させ、多くの有力選手を招聘できた国がある一方で、日本は強豪の地位からそのままを維持しようとしてうまくいかなかったという印象が僕にはあるんです。
サッカーもプロ化して劇的に変化したことが、卓球とバスケットボールのプロ化を誘発し、野球の独立リーグとWEリーグの発足に一役買ったことに間違いはなく、やはり画期的な登場と言えます。
ただ漫画の世界とはいえ、大空翼と若林源三にワールドカップと全日本という言葉を使わせた高橋陽一先生は、先見の明があると思いますし、そのワールドカップのアジア常連国となった形はもっと評価すべきでしょうね。
そして大空翼を筆頭にサッカーボールに寄せ書きをすると、「今度会う時は全日本で」と記しましたよね。
そう、今でこそサッカーに限らず日本代表という呼び方をしますが、1980年代までは「全日本」という名称が一般的でした。
いつから名称が変更になったのか、僕個人記憶にないのですが全日本という言葉と「日の丸」という名称の方が強かったことだけは確かでしょう。
全日本というとどこかで猛練習だとか、コーチ陣からの厳しい叱責、長時間の拘束など何かしらのきな臭さが感じられます。(少なくとも僕は)
実際1980年代、日本でプロのリーグは野球しかなく、仮にバレーボールが(今でもプロリーグはありませんが)プロ化していれば、五輪や世界選手権のメダルは常に射程距離だったかもしれません。
つまり、イタリアのようにプロリーグを発足させ、多くの有力選手を招聘できた国がある一方で、日本は強豪の地位からそのままを維持しようとしてうまくいかなかったという印象が僕にはあるんです。
サッカーもプロ化して劇的に変化したことが、卓球とバスケットボールのプロ化を誘発し、野球の独立リーグとWEリーグの発足に一役買ったことに間違いはなく、やはり画期的な登場と言えます。
ただ漫画の世界とはいえ、大空翼と若林源三にワールドカップと全日本という言葉を使わせた高橋陽一先生は、先見の明があると思いますし、そのワールドカップのアジア常連国となった形はもっと評価すべきでしょうね。