映画「ヴェニスに死す」の中で、ダーク・ボカード演じる識者のグスタフ・アッシェンバッハが、聴衆から激しいヤジを飛ばされる場面が登場します。
娘の死とこの手痛い実体験を乗り越えるための静養として、アッシェンバッハはヴェニスに降り立つわけですが、最終的にはアジア・コレラに羅漢し、砂浜のデッキチェアで息絶えてしまいます。
僕は自分の悩みや嫌な事を基本、自分自身の中で飲み込み吐露しません。
それは話せる相手が誰もいないということもありますが、一方で僕のような人物こそがうつ病になりやすいはずなのに、どうして病院で治療を受けなくても良いのだろうか、とも感じます。
毎日サッカーの事を考え、このブログを更新することが気持ちに張り合いをもたらしている面はあると考えますが、実際には定かではありません。
ドイツ代表のロベルト・エンケがそうでした。
映画の世界とは異なりますが、彼もまた娘さんをなくし、同時にうつ病を患っていることが電車への飛び込み自殺の要因とされています。
彼はFCバルセロナに在籍していたこともありますが、ブンデスリーガのハノーファーでの活躍が代表選出につながり、メガクラブよりはこの中規模クラブの方が、肌に合っていたのでしょうね。
ヴェニスに死すにおいても、観客は容赦なくアッシェンバッハを批判し、彼の控室まで追い掛け回すことを、必死になって妻がせき止めます。
演じるダーク・ボカードの憔悴は、本当に彼が憔悴しているかのようなしぐさであり、エンケに限らず敗れることへの恐怖と批判が、自分自身を追い込み、家族の身の安全すら保障されない可能性すら秘めている現代サッカーの脆さ。
この点を僕たちは、もう一度考えてみるべきではないでしょうか。
でも僕も夜熟睡できませんが、それでも何とか生きていますがね。
娘の死とこの手痛い実体験を乗り越えるための静養として、アッシェンバッハはヴェニスに降り立つわけですが、最終的にはアジア・コレラに羅漢し、砂浜のデッキチェアで息絶えてしまいます。
僕は自分の悩みや嫌な事を基本、自分自身の中で飲み込み吐露しません。
それは話せる相手が誰もいないということもありますが、一方で僕のような人物こそがうつ病になりやすいはずなのに、どうして病院で治療を受けなくても良いのだろうか、とも感じます。
毎日サッカーの事を考え、このブログを更新することが気持ちに張り合いをもたらしている面はあると考えますが、実際には定かではありません。
ドイツ代表のロベルト・エンケがそうでした。
映画の世界とは異なりますが、彼もまた娘さんをなくし、同時にうつ病を患っていることが電車への飛び込み自殺の要因とされています。
彼はFCバルセロナに在籍していたこともありますが、ブンデスリーガのハノーファーでの活躍が代表選出につながり、メガクラブよりはこの中規模クラブの方が、肌に合っていたのでしょうね。
ヴェニスに死すにおいても、観客は容赦なくアッシェンバッハを批判し、彼の控室まで追い掛け回すことを、必死になって妻がせき止めます。
演じるダーク・ボカードの憔悴は、本当に彼が憔悴しているかのようなしぐさであり、エンケに限らず敗れることへの恐怖と批判が、自分自身を追い込み、家族の身の安全すら保障されない可能性すら秘めている現代サッカーの脆さ。
この点を僕たちは、もう一度考えてみるべきではないでしょうか。
でも僕も夜熟睡できませんが、それでも何とか生きていますがね。