
じゃ~ん!!
ついに案内が来ちゃいました~

あと2週間なんだなぁ・・・

・・・と、そんなことはさておいて、
今年は私が住む丸岡町が、
越前丸岡藩として本多成重(ほんだなりしげ)が丸岡城に入城してから400年目なのです・・・

丸岡町では、古城マラソンや丸岡グリーンロードレースのポスター等で、
それらを唄って行き、啓発やPRに力を入れていくとか

「一筆啓上火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」とは、
徳川家康に仕えた三河三奉行の一人、
成重の父・本多作左衛門重次(別名:鬼作左)が戦場から妻に宛てた手紙として有名で、
お仙とは成重の幼名:仙千代のことである

あ!丸岡の久保田酒造の「鬼作左」は、ここから因んだのですね~

1613年本多家初代藩主成重ののち、
その子本多重能(しげよし)、孫の本多重昭(しげあき)の三代で今の丸岡の町並みは整備され広く繁栄することになるが、
重昭の子、四代藩主本多重益(しげます)が信仰心は深いが酒色癖の悪い藩政においては無能な人物で、
1695年、幕命により取り潰されてしまう

本多家無き後、丸岡城に入城したのが糸魚川藩・有馬清純(きよずみ)である

おや?糸魚川~?
私が毎年参加させていただいているグランフォンド糸魚川~

丸岡と糸魚川にこんな御縁があったとは~

有馬家はその後8代続き、廃藩置県の時代まで長く丸岡を統治することに

ところで、時代はちょっと遡るが糸魚川と福井にも少しご縁が

福井藩初代藩主・結城秀康(徳川家康の次男)はつとに有名だが、
四代藩主松平光通(みつみち)の子、 松平直堅(なおかた)は庶子であったこともあり、またお世継ぎ問題でもめていたこともありで、
糸魚川藩に入領している

あ!この直堅は、この間見に行った藩主邸・養浩館庭園(御泉水屋敷)で生まれているのですね~

ちなみにこの養浩館庭園は、米国の日本庭園専門雑誌『数寄屋リビング(ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング)で、
2010年もっとも美しい日本庭園ランキングで1位の足立美術館、2位の桂離宮に次いで
第3位に選ばれている~

光通には公の子は居なかったことと藩政も良くなかったことから、
幕府からお取り潰しを受けそうにもなるが、
減石されても潰されなかったのは、徳川家康の直系の家柄のためだとも言われている。
当時の越前松平家は徳川御三家とは別に、特別な扱いを受けていたと聞く

う~ん 興味を持って調べてみると、
いろんな繋がりが出てくるのですね~

確か大阪だったかな?スィーツばかり食べ歩く?マラソン大会があったと思いますが、
あにゃもさんの場合、パン食べ放題のマラソン大会があったなら・・・(笑)
幕末の歴史だけでもかなり福井は興味深いですよね~
柴田勝豊のことも調べてみると興味深いですね~
柴田勝家の実の子では無かったのですネ?
足立美術館が絶賛されているというのは知っていましたが、
福井の養浩館がそんなに評価が高かったとは知りませんでした~
大忙しですね~
私もランニングイベントに出たくなるようになれればな~
歴史>>身近なところで知らないのが多いですよね。
福井は、あにゃもが興味を持つ人々を多く輩出しているので、興味津々です。
私的興味と言うよりも、仕事上の興味ですけど、、、
私の育った場所は、平安から認識されていたようです。
さて、これから仕事に行ってきます~
しかも丸岡城は、信長が一向一揆の本拠地となっていた豊原寺坊を焼き払ったあと、柴田勝豊が豊原の山城を丸岡に移転したとか。
小学生のころ遠足で知り、安土桃山時代が身近になりました
あ、不動の1、2位…足立美術館、桂離宮は、本当に素敵でございます~