5月も今日で終わり。月並みだけれども、光陰矢の如し。早い。
栄枯盛衰。ひとたび生まれたものは、いつしか滅んでいく。青年は思うように存分に生きて欲しい。そんなことを思った。
そんな気持ち
そんな気持ち
桜が咲き、桜が散る。
新入生が入学し、キャンパスは少しの賑わい。
新型コロナウィルスのワクチン接種クーポン券が届く。
いろいろなことが起こりながら、時は流れていく。
新入生が入学し、キャンパスは少しの賑わい。
新型コロナウィルスのワクチン接種クーポン券が届く。
いろいろなことが起こりながら、時は流れていく。
今日で三月は終わ重要なり。
明日から四月です。
この節目は、大学教員にとって、新年と同じぐらい重要です。
カウントダウンしてきた、このブログもいよいよあと一年。
明日は365です。
明日から四月です。
この節目は、大学教員にとって、新年と同じぐらい重要です。
カウントダウンしてきた、このブログもいよいよあと一年。
明日は365です。
近距離の出来事だけを考えていると、辛くなることがある。でも、もう少し範囲を広げると、ちょっとだけ明るい希望が見えてくる。さらに、その先の未来を思い描くと、明るさが増してくる。
こんなふうに思っていることで、今の事態を乗り越える勇気が少しだけ湧いてくる。そう信じたい。
こんなふうに思っていることで、今の事態を乗り越える勇気が少しだけ湧いてくる。そう信じたい。
初めて行く場所は、時間が長く感じる。帰りは、そうでもない。そうした非対称性の意識が生まれるのは、なぜなのだろうか。不思議であると同時に、それを科学的に確かめることの重要性を感じる。
明日がどのような日になるのかはわからないが、明日が来ることを信じて、ただひたすらに生きていくことが大切なのだと思う。
そもそも明日は見えぬもの。だから、明日に賭けることができる。そんなふうに思いながら、今日もまた、明日が来るのを待っている。
そもそも明日は見えぬもの。だから、明日に賭けることができる。そんなふうに思いながら、今日もまた、明日が来るのを待っている。
まだ1日あるが、9月も終わる。九月尽。
どの月も、いつかは終わるので、九月について特段の思いがあるわけではない。
それでも九月は、格別。という特段の思いはなく、月日が過ぎる。ああ。
コロナ禍で、自粛生活が余儀なくされてから半年近く。それまでとは違う日々が続いてきた。そして、それがいつまで続くのか。それは分からない。明日は、今日と同じような日になるのだと思う。そして、それはいつまで続くのか。
ケの日ばかりが続き、ハレの日はない。それが今の日常。いつまでこうした明日が続くのだろうか。
時間の流れを色で喩えてみる。明日は何色だろうか。
ある人は赤。そして、別の人は黒。さらに、灰色という人も出てくる。
人によって、明日の色は違う。
なぜ?
そこに個人の感じ方の違いが現れてくる。
明日は何色でもいい。それが結論。
明日が来れば、それでいい。来なかったら、ああ、それは不幸。生命の連続性が絶たれるということだ。