物事は簡単には変わらない。ちょっとずつ変わっていく。薄皮を剥ぐように、ほんの少しずつ。そう、それが世界を変えていくのだ。自分を含めて。
自粛生活が続いているので、必然的に料理をすることになる。何事もそうだが、回数を重ねることでスムーズにできるようになっていくものだ。料理も同じ。
一つのことをしながら、別のことをする。同時総合と継時総合を同時するするような事態になっても、それほど慌てずにやれるようになってきた。その結果、出来上がるまでの時間も短縮されることになる。
経験を積みながら、ポイントを掴む。何事もそうである。料理の腕が上がることが汎化するとしたら、文章の執筆にも生かされるはずである。期待したいものである。
8月も、あとわずか。全国的には37、8度の所もあり、まだまだ残暑は厳しい。セミの声は、やや少なくなっている。季節の移ろいを敏感に感じているのだろう。
研究を進めていく上で、重要なのは論理。筋が通っているかどうかがポイントとなる。論理を突き詰めたのが論文。さあ、論理のクリアな論文を書くぞ、と思う。
昼間はまだ暑いけれども、朝夕はちょっとだけ凌ぎやすくなってきている。そんな微妙な違いから、夏の終わり、秋の始まりを感じる。言葉で表現するのは難しいけれど、肌で分かるということなのだと思う。それもまた認識の一形態。
コロナ禍の今。以前のような暮らしに戻れるのかどうか、それが最も関心のあること。
重い荷物を持っているおばあさんの荷物を持ってあげる。そんな手助けは、コロナ禍の中では「ありえない」話になる。
そうした事態が続けば、人を助けるという行為自体が、随分と意味の違ったモニなっていく。
ああ、この先、どんなふうに人間の心は変わっていくのだろか。
. 小学生の頃の懐かしい夏休み。とにかくやたらと長く、そして、宿題がやたらと多かったです。そして、全部完成できずに休みの終わりが近づき、いつも慌てふためいていた。ああ、あの夏休み。ちょっとぐらいは体験してみても良いかななどと、思ってみたりもする。
ポケモンカードは、ルールがイマイチ飲み込めていない。カードもベーシックなものなので、強い戦いをするには、イマイチ。それでも、家の中で遊ぶのは、ほとほど楽しめるものなのだ。
映画を観に行く。チケットを予約し、映画館に行き、チケットを発券。入場の前に、サーモグラフィーで検温。そして、入場。観客は、17人。座席数の1%にも満たなかった。