Rの勉強会の次回のお題は、LCM(潜在変化モデル)。潜在曲線モデルは3時点以上の縦断データでしかできないが、潜在変化モデルだと2時点でも分析可能になる。論文を読み、Rのコードを書いていく作業。まだ完成には至っていないが、おおよその目途は立った段階。
今日も一日無事に過ごせて、夕食のときにお酒を飲んで、ほろ酔い気分になる。
それが幸せなのかもしれない。
もちろん、社会では矛盾や問題が起こっていることはわかっているし、それに対して、アクションもする。
その上での小さな幸せを大事にしたい。
それが幸せなのかもしれない。
もちろん、社会では矛盾や問題が起こっていることはわかっているし、それに対して、アクションもする。
その上での小さな幸せを大事にしたい。
明日という日は明るい日と書くのね。
という歌詞で始まる歌があった。
今の時代、明日は明るいのか。
明るいと信じたいが、でもそうでもない気もする。
それでも生きて行かないといけないのが私たち。
明るい日と思っていくことで、明るい日がやってくるのではないか。
そんなふうに思いながら。
という歌詞で始まる歌があった。
今の時代、明日は明るいのか。
明るいと信じたいが、でもそうでもない気もする。
それでも生きて行かないといけないのが私たち。
明るい日と思っていくことで、明るい日がやってくるのではないか。
そんなふうに思いながら。
今日は、青年心理学会の発表論文集の原稿〆切。
現在、進行形の科研費の縦断研究の一部を使った分析を用いて、発表内容をまとめた。
大会は12月5、6日。
オンラインでの学会となる。どのような展開になるのか、楽しみである。
現在、進行形の科研費の縦断研究の一部を使った分析を用いて、発表内容をまとめた。
大会は12月5、6日。
オンラインでの学会となる。どのような展開になるのか、楽しみである。
家にいる日々が続く。
それはそれで、慣れてはく。
同時に、どこかに行きたいという思いも膨らんでくる。
旅に出てみたい。
そんな思いが募ってくる。
もう少しの我慢と思いつつ、いつまで続くのかとお思う。
小さな旅でよい。
出かけてみたいものだ。
それはそれで、慣れてはく。
同時に、どこかに行きたいという思いも膨らんでくる。
旅に出てみたい。
そんな思いが募ってくる。
もう少しの我慢と思いつつ、いつまで続くのかとお思う。
小さな旅でよい。
出かけてみたいものだ。
天気が良いと、気分も良い。
秋晴れは、また特別だ。
空を見上げても、地面の草たちを見つめても、
秋晴れだと、特別の気分になる。
さあ、行こう。
ずっと向こうの未来を目指して。
秋晴れは、また特別だ。
空を見上げても、地面の草たちを見つめても、
秋晴れだと、特別の気分になる。
さあ、行こう。
ずっと向こうの未来を目指して。
手紙を書いて、相手に届ける。
それ以外に、相手に自分の思いを伝えることができない。
そういう時代を経験してきた私。
その私が、今はメールで自分の思いを相手に送る。
返事がすぐにくれば、気持ちは穏やかだが、そうでもないときもある。
事故なく届いているのか、相手は読んでいるのか、なぜ返信がこないのか。
などと、思いを巡らせることもある。
その昔を思い出してごらん。
手紙の返事が来るのを、心待ちにしていた頃を。
そうすれば、少しは心穏やかになるはずだ。
それ以外に、相手に自分の思いを伝えることができない。
そういう時代を経験してきた私。
その私が、今はメールで自分の思いを相手に送る。
返事がすぐにくれば、気持ちは穏やかだが、そうでもないときもある。
事故なく届いているのか、相手は読んでいるのか、なぜ返信がこないのか。
などと、思いを巡らせることもある。
その昔を思い出してごらん。
手紙の返事が来るのを、心待ちにしていた頃を。
そうすれば、少しは心穏やかになるはずだ。
三密を避けることが求められる。
マスクやフェースガードで、防備しておかないといけない。
口角泡を飛ばしながら議論するなど、もってのほかなのだ。
それでも、言いたいときはどうする。それが問題だ。
マスクやフェースガードで、防備しておかないといけない。
口角泡を飛ばしながら議論するなど、もってのほかなのだ。
それでも、言いたいときはどうする。それが問題だ。
デパートやスーパーの試食コーナー。その場で調したできたてのものを食べるのは、楽しみだった、店内に流れる美味しそうな匂い。それにつられて、ふらふらとして、吸い寄せられ。そして、一つ二つを買い求める。どこにでもあった風景だ。コロナ禍のもと、試食コーナーは見られなくなってしまった。寂しい限りである。
研究をしていると、いろいろな資料が、そのたびに集まってくる。回答済みの質問紙、さまざまな文献資料、諸々の報告書など、あっという間に、段ボール箱の山、山、山。とりあえずは、それらを残しておくが、それにも限度がある。いつかは廃棄していくことになる。守秘書類として廃棄するには、それなりの手順が必要であり、それもまた、時間と労力を必要とする。こういうことをずっとやり続けてきたのである。
明日がどのような日になるのかはわからないが、明日が来ることを信じて、ただひたすらに生きていくことが大切なのだと思う。
そもそも明日は見えぬもの。だから、明日に賭けることができる。そんなふうに思いながら、今日もまた、明日が来るのを待っている。
そもそも明日は見えぬもの。だから、明日に賭けることができる。そんなふうに思いながら、今日もまた、明日が来るのを待っている。