つい先だって春一番が吹いたと思ったら、今日は霙。寒いの一言に尽きる。三寒四温というよりは乱高下。ジェットコースターのように上ったり下ったり。こうやって春に少しずつ近づいていくのだ。
内田樹さんの本を読むのは、これが初めて。同じ大学の石川康宏との往復書簡という形式。思い切りのいい主張が心地好い。
内田樹×石川康宏(2010) 若者よマルクスを読もう かもがわ出版
ぼくがマルクスを愛する最大の理由は、マルクスが世の中の仕組みをさくさくと解明してくれたことでも、どうやって階級のない社会を構築するか、その筋道を指し示してくれたことでもなく、マルクスを読むと自分の頭がよくなったような気になるからなんです。
これは人類学者のクロード・レヴィ=ストロースがどこかで書いていたことなんですけれど、レヴィ=ストロースは論文を書き始める前に、必ず書棚からマルクスの本を取り出して、ぱらぱらと任意の数頁を読むのだそうです。「ルイ・ナポレオンのブリュメール18日」なんかが特にお気に入りらしいんですけれど、マルクスを何頁か読むと、頭の中の霧が晴れるような気がする、と。 僕にもこの感じはよくわかります。マルクスを数頁読むだけで、頭の中を一陣の涼風が吹き抜けるような気がする。(中略)
マルクスはごくの問題を解決してくれない。けれども、マルクスを読むとぼくは自分の問題を自分の手で解決しなければならないということがわかる。
これがマルクスの「教育的」なところだとぼくは思っています。(37~39頁)
マルクスは「私たちを疎外された労働から解放せよ」と主張したわけではありません。「彼ら(劣悪な労働環境に置かれた労働者)を疎外された労働から解放するのは私たちの仕事だ」と主張したのです。この倫理性の高さゆえにマルクス主義は歴史の風雪に耐えて生き延びることができたのだとぼくは思っています。(152頁)
懐かしい電話。受話器を上げると、まるちゃんの声が聞こえてきそうだ。こんなダイヤル式の電話は、今どきもどこかにあるのだろうか。現役で稼働しているかな。
今日はアヒルが三羽です。
三羽のアヒルが集まれば、文殊の知恵も出てきます。
三羽のアヒルが集まれば、もちろん踊りはサンバです。
サンバ踊って疲れれば、そぞろ歩きの散歩です。
一歩二歩三歩。それで仕舞いの散歩です。
それで三羽は散開し、一羽一羽また一羽、どこかに飛んでいきました。
本の帯のコピーがすごい。
超強力! 俳句力養成ギブス
全15章の句会に登場する面々は文学、音楽、料理、政治、経済の分野で活躍する人たち。毎回の句会の様子が臨場感溢れる筆致で紹介される。ときには一刀両断されることも。「角川春樹の超実践的俳句道場」(帯より)はものすごく濃い。
佐藤和歌子 『角川春樹句会手帖』 扶桑社
昨日は雨水だった。木の芽が少しずつ芽吹いてくる頃。寒さも少し和らいだような気がする。本格的な春の楽しみを予感させるような。そんな気分になる。
すでに1ヶ月と三分の二を終え、あっという間に2月も終わりそう。だから、春も駆け足でやってくる。そのように考えることで、逃げ足の速い2月の意味もつかめるような気がする。
胃腸に来る風邪を引いてしまった。いくつかの仕事を休み、家に籠もっていた。いつもと異なる数日を過ごすことになった。楽しみにしていた教え子たちの結婚パーティにも出席できなかった。考えて作った挨拶句も折句も言付けするしかなかった。これもまた人生か。
四方照らす女神の髪に藤の花
手をつなぎ縷々語りつつ行く道ぞ勇気を持って困難も越え
素晴らしき永遠の誓いの嬉しさよ幸い招く土耳古石買う
今日は2月10日。スーパーのチラシを見ていると、今年から豚(2)丼(10)の日になったようだ。
だとすれば、こんな風になるのかな?
9月10日は、9(牛)丼(10)の日。
10月10日は、10(天)10(丼)の日。
12月10日は、12(他人)10(丼)の日。
ということは、豚丼(他人丼)の日は、一年に2回あるということなのだ。されば、豚肉万歳。
こんな夜はリーフティーを入れてみる。一手間かけたことで、充実した時間になるような気がする。ほっとした時間。夜はまだこれからだ。
最寄り駅から歩いて帰る途中に公園がある。今夜は大勢の若者が集まっている。何をしているのかと思ったら、かくれんぼが始まった。
立春の今宵、昨日までとは打って変わって、暖かかった。それに誘われたのだろうか、若者たち。かくれんぼとは、また楽しい。
立春の宵のかくれんぼ。そのままどこか異次元に行ってしまいそうな、ちょっぴり不安で、ちょっぴり楽しみなかくれんぼ。