多人数の会議や会合の場合、対面だと、隣同士のひそひそ話などがある。オンラインでは、音声でのひそひそ話はできない。チャットを使えば、できないことはないが、送信先を間違えると、特定の相手に送ったつもりが、全員に送られるという、大失態を犯すことになる。だから、オンラインでのひそひそ話は止めた方がよい。
三密を避けることが求められる。
マスクやフェースガードで、防備しておかないといけない。
口角泡を飛ばしながら議論するなど、もってのほかなのだ。
それでも、言いたいときはどうする。それが問題だ。
マスクやフェースガードで、防備しておかないといけない。
口角泡を飛ばしながら議論するなど、もってのほかなのだ。
それでも、言いたいときはどうする。それが問題だ。
4月以降、オンライン会議を何度も経験してきた。他の人も、それぞれ経験を積んで来ただろう。
遠くにいる人が、一緒に会話できるオンライン会議は、新しい可能性を示している。
同時に、いつも思うことがある。それは、オンライン会議の終わりの時。
それぞれの参加者が、退出のボタンを押して、スッといなくなる。
本当に瞬時に、それまでの会議が嘘のように消え去っていく。
余韻はどこにもない。別れを惜しむ。そんな風情のある別れは、もう期待すべくもないのだろうか。
いや、そうではないと思いたい。新しい習慣を身につけて、会議も、その余韻も楽しむ、そんなことが可能になる日を期待したい。
大学院時代に、喫茶店で100円を入れてインベーダをやっていた私にとって、今のゲームは何とも理解できないものである。
まず、いつでもどこでもできること。際限が無く、区切りがない。それをどうやって自分で区切ることができるのだろうか。
ゲームは、大人が作り、子どもに遊ばせる。その大人は、子どもの未来を考えているのか。甚だ疑問でる。
とは言っても、世の中は進む。ゲームを通じて、世界が変えられるとしたら、ゲームの可能性があるのかもしれない。
ポケモンカードは、ルールがイマイチ飲み込めていない。カードもベーシックなものなので、強い戦いをするには、イマイチ。それでも、家の中で遊ぶのは、ほとほど楽しめるものなのだ。
zoomなどのオンラインでの会合も、回数を重ねることで、次第にスムーズに進めることができるようになってきた。遠くにいる人も含めて、話し合いをすることができるようになったのは、プラスの面だと言える。他方で、気になることもある。
これまで、人に会ったとに、握手をするということは、それほど多くはなかったが、対面でのコミュニケーションの手段として、思わず手が出てしまうことはあった。握手は、相手を知るためには、とても便利なものだったのだ。
握手は、相手のぬくもりや手の大きさや、握るときの力などを通して、相手のことを直感的に理解する手立てであったである。
オンラインでの関係では、不可能となった今、私たちは何をもとにして、相手のことを理解すればいいのだろうか。新たな挑戦の始まりである。
これまで、人に会ったとに、握手をするということは、それほど多くはなかったが、対面でのコミュニケーションの手段として、思わず手が出てしまうことはあった。握手は、相手を知るためには、とても便利なものだったのだ。
握手は、相手のぬくもりや手の大きさや、握るときの力などを通して、相手のことを直感的に理解する手立てであったである。
オンラインでの関係では、不可能となった今、私たちは何をもとにして、相手のことを理解すればいいのだろうか。新たな挑戦の始まりである。
オンラインでの会議や打ち合わせが主流になった今、議論が白熱して、口角泡を跳ばすような状況になることはない。パソコンの画面上で相手の顔が見えるのは、懐かしさも含めて、嬉しいものだが、やはりオンラインは対面には敵わない。近くにみえても、相手との距離はとてつもなく離れているのだ。
だから、オンラインでの会合や会議では、口角泡を飛ばすような議論は、やろうと思ってもできない。空気を共有することができないからだ。そのうちに、口角泡を飛ばす、という言葉自体が死語になってしまうのかもしれない。
YouTubeで、たまたま神田伯山の講談「中村仲蔵」を聞いた。全くの偶然だったのだが、とても素晴らしかった。その後、神田桜子の二ツ目昇進記念講談会「秋色桜」を聞く。これもまた、とても良かった。こんなふうに、これまで縁のなかった文化に触れることができたのは、何よりの喜びである。
クルーズ船での新型コロナウィルス感染のニュースが報じげられるようになった頃から、朝のテレビドラマ「スカーレット」を見るようになった。登場人物が多彩で、なかなか面白く、毎日のその時間が楽しみになった。
3月末からは、「エール」が始まった。主人公の脇を固める登場人物が個性的で、ドラマにアクセントを付けている。15分という短い時間のなかで、緩急と起伏を付けたストーリーが展開し、翌日への期待感と不安感を引き起こしてエンディングとなる。
連続テレビドラマとの出会いは、中学生の時の「おはなはん」。当時は、連続テレビ小説と言っていた。愛朝、それを見てから学校に出かけたものである。そんなことを思い出しながら、今日一日が終わる。
3月末からは、「エール」が始まった。主人公の脇を固める登場人物が個性的で、ドラマにアクセントを付けている。15分という短い時間のなかで、緩急と起伏を付けたストーリーが展開し、翌日への期待感と不安感を引き起こしてエンディングとなる。
連続テレビドラマとの出会いは、中学生の時の「おはなはん」。当時は、連続テレビ小説と言っていた。愛朝、それを見てから学校に出かけたものである。そんなことを思い出しながら、今日一日が終わる。