今日で今年も12分の7が終わり。残りは12分の5。さあどうやって過ごすか。思案のしどころだ。
朝の散歩でラジオ体操に行く子どもや帰ってくる子どもに出会う。どの子も首からカードをぶら下げて歩いている。夏休みの風物詩だ。
私も小学生時代はラジオ体操に通ったものだ。他に行くところがないから、毎日通ったものだ。
近頃は、夏休みの最初と最後だけしかやっていない。真ん中はお休み。子どもたちも忙しく、親とのお出かけもあるからだろうか。何となく気が抜けたような感じがする。
ラジオ体操で目を覚まし、一日を爽快に過ごす。そんな日々を暮らしたいものである。
私も小学生時代はラジオ体操に通ったものだ。他に行くところがないから、毎日通ったものだ。
近頃は、夏休みの最初と最後だけしかやっていない。真ん中はお休み。子どもたちも忙しく、親とのお出かけもあるからだろうか。何となく気が抜けたような感じがする。
ラジオ体操で目を覚まし、一日を爽快に過ごす。そんな日々を暮らしたいものである。
梅雨明けから十日ほど経っただろうか。
先週は38.9度というような猛暑が続いた。一昨日、昨日は雷が鳴り雨が降った。そのせいか少し涼しくなったようだ。昼間は晴天続き。梅雨明け十日とは、よく言ったものだ。
23日の大暑は、外を出歩くのも憚られるような暑さ。つくづく日本の夏は暑いと思う。昨日は土用の丑の日。ウナギ受難の一日であった。
来週7日は早くも立秋。秋の気配を感じたいものである。
先週は38.9度というような猛暑が続いた。一昨日、昨日は雷が鳴り雨が降った。そのせいか少し涼しくなったようだ。昼間は晴天続き。梅雨明け十日とは、よく言ったものだ。
23日の大暑は、外を出歩くのも憚られるような暑さ。つくづく日本の夏は暑いと思う。昨日は土用の丑の日。ウナギ受難の一日であった。
来週7日は早くも立秋。秋の気配を感じたいものである。
帳尻合わせ。
あまり良い印象を持たれない言葉だ。
帳尻合わせ。
最終的に辻褄が合うようにすること。
何となく誤魔化しているような気もする。
だが考えても見よう。
一日は24時間。
やれることは限られている。
やらなければならいことは、それなりにある。
2時間で90%に仕上げるか。
はてまた1時間で70%の仕上げで満足するか。
そんな選択をいつもで無意識にやっているような気がする。
大学の評価であれば、70%はCで合格。
90%ならばA。
どちらも合格には違いがない。
だからどちらを取ってもよいのではないか。
そんな論理も成り立つにちがいない。
などと思うのは、あまりにもご都合主義なのか。
いや違う。
時間の有効活用。
時間と活動を秤に掛けて、調整する心の働き。
それを帳尻合わせと言うのではないか。
時間と共に生きる私たちにとって、それは日々問われることなのである。
あまり良い印象を持たれない言葉だ。
帳尻合わせ。
最終的に辻褄が合うようにすること。
何となく誤魔化しているような気もする。
だが考えても見よう。
一日は24時間。
やれることは限られている。
やらなければならいことは、それなりにある。
2時間で90%に仕上げるか。
はてまた1時間で70%の仕上げで満足するか。
そんな選択をいつもで無意識にやっているような気がする。
大学の評価であれば、70%はCで合格。
90%ならばA。
どちらも合格には違いがない。
だからどちらを取ってもよいのではないか。
そんな論理も成り立つにちがいない。
などと思うのは、あまりにもご都合主義なのか。
いや違う。
時間の有効活用。
時間と活動を秤に掛けて、調整する心の働き。
それを帳尻合わせと言うのではないか。
時間と共に生きる私たちにとって、それは日々問われることなのである。
今日から7月。
今年も半分が終わり、残り半分。
机の前のカレンダーを一枚めくる。
時が過ぎるのが早い。
これまで何をしたのか。
何をしなかったのか。
振り返ってみる。
これから何をしようとするのか。
何をしたいのか。
思い浮かべてみる。
いつものように朝が来て、いつものように終わる一日。
その繰り返しの積み重ね。
平凡な日々を大切にしたい。
それが人生というものだから。
一年の半分が過ぎた今日。
改めて、そのことを思う。
今年も半分が終わり、残り半分。
机の前のカレンダーを一枚めくる。
時が過ぎるのが早い。
これまで何をしたのか。
何をしなかったのか。
振り返ってみる。
これから何をしようとするのか。
何をしたいのか。
思い浮かべてみる。
いつものように朝が来て、いつものように終わる一日。
その繰り返しの積み重ね。
平凡な日々を大切にしたい。
それが人生というものだから。
一年の半分が過ぎた今日。
改めて、そのことを思う。