今日は二十四節気の穀雨。折しも午後から雨。この時期の雨は草木の芽生えを促す。天からの贈り物である。庭先を見ると、スズランの芽が顔を出していた。ミューゲの日まで、あと10日ばかり。日々刻々と変わっていく景色に、ただただ感嘆の声をあげるばかり。
近頃の流行言葉の一つ。いつまでの何をどれぐらい達成するかという数値目標。中には絵に描いた餅のようなものもある。たとえそうであっても、後になって、どれだけそこに近づいたのかを自己点検・自己評価することが求められる。だから数値目標は大きすぎず、そこそこ達成できそうな範囲であることが重要だ。
数値目標が一度立てられると、それが自動作用を引き起こすことがあるので注意が肝心。数値はあくまでも数値であるから。達成できたら善で、達成できないのが悪だという考えは要注意。そんなに簡単に判断して決めることなどできないのだから。
数値目標が一度立てられると、それが自動作用を引き起こすことがあるので注意が肝心。数値はあくまでも数値であるから。達成できたら善で、達成できないのが悪だという考えは要注意。そんなに簡単に判断して決めることなどできないのだから。
千田夏光の著作に『女子高生は菫色』というのがある。菫と言えば、すぐに紫色の花を思い出す。だが、菫は色取り取りなのだ。女子高生が個性豊かな存在であるのと同じ。一つのパターンとして把握して十把一絡げに見るのではなく、一人ひとりに即して捉えることの重要性を意味しているのが『女子高生は菫色』なのだ。
今の季節、色取り取りの菫が綺麗に咲いている。じっと眼を凝らさないと、その美しさを見逃してしまうことになる。さあ菫を一つ一つじっくりと観察しようではないか。
今の季節、色取り取りの菫が綺麗に咲いている。じっと眼を凝らさないと、その美しさを見逃してしまうことになる。さあ菫を一つ一つじっくりと観察しようではないか。
全てを忘れて一つのことに打ち込む。それは素晴らしいことだ。そんな時間をどれぐらい過ごせるか。それが人生の質を決めることになる。無心、虚心。目の前の現実とだけ向き合い、時間の過ぎるのを忘れる。そんな時間はいくらあってもいい。そんな時間を持てるかどうか、それは本人次第。
ムスカリが毎年少しずつ増えている。種子を飛ばしているのだ。着実に、確実に増えていくムスカリ。自分では動けないムスカリが、少しずつ動いている。素晴らしい。
ずいぶんと前のことである。食事の集合時間に遅れて行ったら、こんなふうに言われた。「遅刻する奴は出世しないよ」。
かなりインパクトのある言い方だったので、よく覚えている。ああ、T寮の管理人のあの人なら言いそうな文句だと思い浮かべられる人もいるかもしれない。
仁義を重んじる世界の人は、待ち合わせの時間に遅れたりすると信用がガタ落ちになるそうだ。だから、会合の始まる1時間前には全員揃っているという話を聞いたことがある。本当だとすれば、すごい。
時間を守るということに関しての出来事。つい先だって、大きな失敗をした。〆切は○月○日。よく見て確認すれば何ということもないのだが、思いこみというのは恐ろしい。○月○日が終わり、日付が変わる時刻が〆切だと、自分勝手に勘違いしていた。
ところが〆切は○月○日の午前10時59分59秒だったのだ。なんで?
というわけで〆切に間に合わなかったという次第。〆切の時刻まで確認することの大事さを痛感した出来事であった。
後日談。諸般の事情により、第二次の受付がおこなわれることになった。なんで?
今度は遅れないように気をつけようと思う次第である。
かなりインパクトのある言い方だったので、よく覚えている。ああ、T寮の管理人のあの人なら言いそうな文句だと思い浮かべられる人もいるかもしれない。
仁義を重んじる世界の人は、待ち合わせの時間に遅れたりすると信用がガタ落ちになるそうだ。だから、会合の始まる1時間前には全員揃っているという話を聞いたことがある。本当だとすれば、すごい。
時間を守るということに関しての出来事。つい先だって、大きな失敗をした。〆切は○月○日。よく見て確認すれば何ということもないのだが、思いこみというのは恐ろしい。○月○日が終わり、日付が変わる時刻が〆切だと、自分勝手に勘違いしていた。
ところが〆切は○月○日の午前10時59分59秒だったのだ。なんで?
というわけで〆切に間に合わなかったという次第。〆切の時刻まで確認することの大事さを痛感した出来事であった。
後日談。諸般の事情により、第二次の受付がおこなわれることになった。なんで?
今度は遅れないように気をつけようと思う次第である。
チューリップと言えば、赤白黄色。どの花見てもきれい、というのが通り相場。チューリップの中には、こんな濃い色の花もある。個性豊かなチューリップ。人間と一緒だ。
減り張り。
ゆるむことと張ること。
物事の強弱などをはっきりさせること。
新年度に入り、日常モードに入ってから、改めてメリハリを付けることの大事さを感じる。メリハリとは自分の生活を自分で組み立てていくことでもある。それは簡単なようであって、難しいことである。
メリハリを付けるには、何か新しいことを入れ込んだり、意識的にサボったりすることが必要だ。そうすれば、そこにアクセントが付いたり、休止符が付けられたりする。二十四時間働いたり、のんべんだらりとグタグタしていると、メリハリのない生活となる。
メリハリをどう付けるか。重要な課題である。
ゆるむことと張ること。
物事の強弱などをはっきりさせること。
新年度に入り、日常モードに入ってから、改めてメリハリを付けることの大事さを感じる。メリハリとは自分の生活を自分で組み立てていくことでもある。それは簡単なようであって、難しいことである。
メリハリを付けるには、何か新しいことを入れ込んだり、意識的にサボったりすることが必要だ。そうすれば、そこにアクセントが付いたり、休止符が付けられたりする。二十四時間働いたり、のんべんだらりとグタグタしていると、メリハリのない生活となる。
メリハリをどう付けるか。重要な課題である。
今日は入学式だった。希望を抱いた新入生がキャンパスを闊歩していた。自分が大学生だった頃のことを思い出す。若い人たちの未来の可能性が無限に開かれていることに羨望の思いを禁じ得ない。彼らからエネルギーをもらいつつ、ともに歩んでいこうと思う。
青空に映える辛夷。この花を見て、千昌夫の唱う「北国の春」を思い浮かべる人は、懐かしのメロディ世代。
辛夷咲くあの故郷に帰ろかな帰ろうかな
しみじみとした歌声が思い出される。きれいな花だ。
辛夷咲くあの故郷に帰ろかな帰ろうかな
しみじみとした歌声が思い出される。きれいな花だ。
近くの小山内裏公園の雪柳。これを見たハイキング姿の中年女性が、「こんなすごい雪柳は見たことがない」と言っていた。確かにすごい。
こんなふうに自由気ままに花咲かせてみたいものだと思う。雪柳は小米花とも言う。一枝に小さな花がたくさん付いていて数え切れない。小さな花でも寄せ集まれば、こんなにもきれいになる。それもすごいと思う。
こんなふうに自由気ままに花咲かせてみたいものだと思う。雪柳は小米花とも言う。一枝に小さな花がたくさん付いていて数え切れない。小さな花でも寄せ集まれば、こんなにもきれいになる。それもすごいと思う。