今日で一月が終わる。一月は行く、と言われるとおり、あっという間に終わってしまった。
いつも食事をしているテーブルが、あっという間に、卓球台に変身。
それを使って、テーブル卓球をする。
スマッシュが決まるとうれしいし、打ちそこないをすると悔しい。
運動不足解消にはならないが、ちょっとしたストレス解消にはもってこいだ。
それを使って、テーブル卓球をする。
スマッシュが決まるとうれしいし、打ちそこないをすると悔しい。
運動不足解消にはならないが、ちょっとしたストレス解消にはもってこいだ。
英語論文を書いて、日本の研究を紹介するのは、難しい作業だ。
日本に住んだことがなく、日本の教育体系や社会制度について知らない人に、分かるように書くのは難しい。
日本語ならば許容されるような表現も、そのまま英語にしても意味が通じない。
縦を横にしてもダメなのだ。
結局は、読み手を意識して文章を書くということに尽きるのだと思う。
それは、日本語でも英語でも同じことなのだ。相手が変わるだけのこと。
日本に住んだことがなく、日本の教育体系や社会制度について知らない人に、分かるように書くのは難しい。
日本語ならば許容されるような表現も、そのまま英語にしても意味が通じない。
縦を横にしてもダメなのだ。
結局は、読み手を意識して文章を書くということに尽きるのだと思う。
それは、日本語でも英語でも同じことなのだ。相手が変わるだけのこと。
自分が持っているものに縋りつく生き方は悲しい。
人は一度手にすると、それを失いたくなくなる。
しかし、重要なのは捨てること。執着しないこと。
それができる人は数少ない。
そうした人に私はなりたい。
人は一度手にすると、それを失いたくなくなる。
しかし、重要なのは捨てること。執着しないこと。
それができる人は数少ない。
そうした人に私はなりたい。
まだまだ寒いが、それでも日が伸びてきた。近くにある中学生たちが、学校帰りに道端で話をしている姿が目に付くようになった。季節は確実に春に近づいていることを感じさせる。
夕方5時過ぎになっても、明るい。1月も末日に近づいてきて、日脚が確実に伸びてきている。春の近づいていきているのを肌で感じることができる瞬間だ。
今年は花粉症の予防のための薬も飲まずにやってきたが、少々目のあたりがかゆいような気がする。このままで推移するとよいのだが。もっと症状が出たら、対応しないといけない。
毎日コロナ感染者の人数が拡大しているなかで、明日はどうなるのか、自分は感染しないのか、と不安な日々。明日はきっと明るい日になることを信じたいし、そうなってほしいと思う。
昨日は大寒。一年で最も寒い季節だ。と言っても、昼間の日向はそこそこ暖かい。風がなければということだが。寒い日と暖かい日が、交互にやって来る。文字通りの三寒四温だ。
この1年で慣れてきたものの一つが、オンラインでの会合である。
コロナ禍になる前から、スカイプを利用した研究会は経験していた。
それが、あっという間に、ほとんど全ての会合がオンラインなってしまった。
研究会や学会などである。
最初にうちは、慣れない部分もあったが、今では、ごく当たり前のようにこなせるようになった。
いいことなのか、どうかはわからないが、これが現実だ。
コロナ禍になる前から、スカイプを利用した研究会は経験していた。
それが、あっという間に、ほとんど全ての会合がオンラインなってしまった。
研究会や学会などである。
最初にうちは、慣れない部分もあったが、今では、ごく当たり前のようにこなせるようになった。
いいことなのか、どうかはわからないが、これが現実だ。
研究はジョギングに似ている。毎日やらないといけない。やっていると、ジョギングが習慣化すると走らないと気が済まないように、研究もやらないといけないという気になる。研究を続けていると、脳内モルヒネが出てくるのかもしれない。