今日で5月も終わり。去年より十七日早い梅雨入りで、五月晴れの清々しい季節をあまり実感せずに終わっていく五月。これで一区切り。明日からは六月なのだ。自分の仕事も一つを終え、明日を迎えることができた。明日は明日で、また明日の日が昇り、明日の風が吹く。一日一日が始まっては終わる。とにかく明日からまた最善を尽くそう。そうそっと思う。
グリーンピースご飯のワンワンです。フワフワした感じが、子犬っぽいかなと思います。可愛いけれど、食べてしまいました。美味しかったです。
毎日大学に行くときに持って行くカバンが、だいぶくたびれてきたので、新しいものに変えたいと思っていた。そう思い始めてからずいぶんと時間がたった。気に入ったものを探しているうちに1年以上は過ぎたと思う。ようやく新しい鞄を買った。
その鞄を使い始めてから1ヶ月ぐらい。ようやく馴染んできた。問題は何かというと、筆入れや手帳、眼鏡ケース、本、ケータイなどを、どこに入れるかということだ。いろいろと試しているうちに、最もぴったりとした収納場所が定まってきた。
そうなると、あたかも最初からその場所が手帳やらの収納場所として予定されていたかのような感じがしてくるから不思議だ。それぞれの小物たちが、鞄の中でニッチを見つけて、そこにピッタリと収まっているのだ。
そうなると新しく買ったカバンは自分にとってなくてはならないものとして感じられてくる。新しいカバンは、私の生活の中でニッチを獲得し、すっきりと収まってくる。いくつかの候補の中から選んだカバンでるはずなのに、今ではそれが唯一のものであると思われてくるのだ。
ニッチとは、そもそもそういうものなのかもしれない。偶然が必然として感じられる中で、ある事柄が自分にとって大事なものになる。そんな経験を積み重ねていきながら、子どもは大人になっていくのだ。
その鞄を使い始めてから1ヶ月ぐらい。ようやく馴染んできた。問題は何かというと、筆入れや手帳、眼鏡ケース、本、ケータイなどを、どこに入れるかということだ。いろいろと試しているうちに、最もぴったりとした収納場所が定まってきた。
そうなると、あたかも最初からその場所が手帳やらの収納場所として予定されていたかのような感じがしてくるから不思議だ。それぞれの小物たちが、鞄の中でニッチを見つけて、そこにピッタリと収まっているのだ。
そうなると新しく買ったカバンは自分にとってなくてはならないものとして感じられてくる。新しいカバンは、私の生活の中でニッチを獲得し、すっきりと収まってくる。いくつかの候補の中から選んだカバンでるはずなのに、今ではそれが唯一のものであると思われてくるのだ。
ニッチとは、そもそもそういうものなのかもしれない。偶然が必然として感じられる中で、ある事柄が自分にとって大事なものになる。そんな経験を積み重ねていきながら、子どもは大人になっていくのだ。
庭の草取りをしていたら、小さな紫色の花を付けた雑草があった。一度は根っこから抜いたのだが、ちょっとだけ気になって花壇の際に寄せて植えておいた。そして、インターネットで調べてみた。
金瘡小草(きらんそう)という名前だということがわかった。するとどうだろう。名前を知らなかったときには、雑草として一括りにしていたのに、金瘡小草という名前を知ったら、その名前で呼ぶだけでなく、他の草と区別するようになる。それだけでなく、他の場所に生えているのに気づいたりする。本当に不思議だ。
「雑草という名前の草はない」と言われる。一つ一つの雑草の名前を知れば、引っこ抜いたりできなくなるのかな。などと思ったりした。
人間もしかり。名前を知らないは自分にとって他人だが、名前を知れば大切な人の一人となる。そういえば、ゲド戦記にも名前を呼ぶというエピソードがあったなと思い出す。
金瘡小草(きらんそう)という名前だということがわかった。するとどうだろう。名前を知らなかったときには、雑草として一括りにしていたのに、金瘡小草という名前を知ったら、その名前で呼ぶだけでなく、他の草と区別するようになる。それだけでなく、他の場所に生えているのに気づいたりする。本当に不思議だ。
「雑草という名前の草はない」と言われる。一つ一つの雑草の名前を知れば、引っこ抜いたりできなくなるのかな。などと思ったりした。
人間もしかり。名前を知らないは自分にとって他人だが、名前を知れば大切な人の一人となる。そういえば、ゲド戦記にも名前を呼ぶというエピソードがあったなと思い出す。
去年、鉢植えで買った擬宝珠を地植えした。今年はこんなに立派になった。なんとうれしいことか。地面の下で根っこがズンズンと張っているのだ。それでこんなにも大きな株になったのだ。目に見えないところが、目に見えるところを支える。その素晴らしさを感じる。同時に、それを我が物としたいと思う。
毎朝の散歩道。並木は緑、緑。緑がどんどん増えていく。見上げる空は少しずつ狭くなっていく。昨日は双葉だったシクラメンが、今日は4つ、5つと葉を増やしている。生命力の素晴らしさを実感する日々。今日は立夏。燃える夏の始まりだ。
いつも撒いていた米の磨ぎ汁効果か。今年はエビネの勢いがよい。花芽が多く、とても綺麗だ。ときどき鳩や雀もやってきて、磨ぎ汁の残り滓を啄んでいる。こんなふうに目に見えて成長が見られると、自然の営みの素晴らしさを改めて感じることができる。