自宅から職場まで、直線距離で7キロ。自動車なら10分のところを、電車とモノレールを使って40分近くかけて通う。その途中にあるのが、松が谷トンネル。不思議なことに、このトンネルを挟んで、天気が違うことが多い。昨晩も、職場では晴れていたのに、自宅付近は雨が降った形跡が。今朝は傘を差して家を出たのに、トンネルをくぐると太陽が出てきていた。実に小さい範囲なのに、とても不思議だ。
「阿」は「あ」。
「吽」は「うん」。
「あ」から始まって、「うん」で終わるから、万物の初めと終わりを象徴しているそうだ。
倉敷で見つけたのは、日本酒の「あうん」。
「あ」は超甘口。
「う」は大甘口。
「ん」は辛口。
すべて飲んで、日本酒の最初から最後までを味わった次第。

井筒屋
「吽」は「うん」。
「あ」から始まって、「うん」で終わるから、万物の初めと終わりを象徴しているそうだ。
倉敷で見つけたのは、日本酒の「あうん」。
「あ」は超甘口。
「う」は大甘口。
「ん」は辛口。
すべて飲んで、日本酒の最初から最後までを味わった次第。

井筒屋
ベルギーから帰国して、はや一年。何をした一年だったか、改めて考えてみる。そこそこの仕事。趣味の料理。家族との暮らし。一日一日の積み重ねが、一年となる。
若かった頃とくらべて、これから先の生活について考えるようになった。5年、10年という区切りが大きな意味を持つ。そういうことを強く感じた一年だった。
楽しいことも、苦しいことも、生きているからこそ。死ぬまでに何を残すかよりも、死ぬまでに何を経験するかを大事にしたい。そういう思いが、よりいっそう深まった一年だった。
これからもボチボチとやるつもり。今後ともよろしく。
若かった頃とくらべて、これから先の生活について考えるようになった。5年、10年という区切りが大きな意味を持つ。そういうことを強く感じた一年だった。
楽しいことも、苦しいことも、生きているからこそ。死ぬまでに何を残すかよりも、死ぬまでに何を経験するかを大事にしたい。そういう思いが、よりいっそう深まった一年だった。
これからもボチボチとやるつもり。今後ともよろしく。
このところ、朝夕は涼しさを感じるようになってきた。暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものだ。
散歩の途中で、彼岸花を見つけた。赤い花がとてもきれいだが、有毒植物。きれいな花には毒がある、という典型か。
お彼岸なので、お墓参りに出かける予定。あの世に旅だった人との精神的交流をはかる季節だ。そうやって自分も、あちらの世界へ一歩ずつ近づいていく。
今日を境に、日が暮れるのが早くなる。寂しさを感じる。夜のとばりのなかに包まれる経験も、人が生きていくのには欠かせないのだと想う。
散歩の途中で、彼岸花を見つけた。赤い花がとてもきれいだが、有毒植物。きれいな花には毒がある、という典型か。
お彼岸なので、お墓参りに出かける予定。あの世に旅だった人との精神的交流をはかる季節だ。そうやって自分も、あちらの世界へ一歩ずつ近づいていく。
今日を境に、日が暮れるのが早くなる。寂しさを感じる。夜のとばりのなかに包まれる経験も、人が生きていくのには欠かせないのだと想う。
電車のなかで電子辞書をあれこれ見ていたら、「ぎりぎり」を英語で次のように言うことを知った。
eleventh hour
ぎりぎりの時間、きわどい時間
at the eleventh hour
きわいどいところで、土壇場で
eleventh hour decision
土壇場での決定
でも、なんで11なんだろう。よくわからない。時間でギリギリを表現するというのも、ちょっと悠長な感じがする。現代人はきっと、もっと違った感じ方をするに違いない。私たちがギリギリと思うのは、もっとタイムスパンの短い話だろう。たとえば、電車のドアがパッとしまる直前に飛び乗るような。
。
ギリギリの感じ方の違いを調べてみるのも、ちょっと面白いかなと思った。
eleventh hour
ぎりぎりの時間、きわどい時間
at the eleventh hour
きわいどいところで、土壇場で
eleventh hour decision
土壇場での決定
でも、なんで11なんだろう。よくわからない。時間でギリギリを表現するというのも、ちょっと悠長な感じがする。現代人はきっと、もっと違った感じ方をするに違いない。私たちがギリギリと思うのは、もっとタイムスパンの短い話だろう。たとえば、電車のドアがパッとしまる直前に飛び乗るような。
。
ギリギリの感じ方の違いを調べてみるのも、ちょっと面白いかなと思った。
ゼミ合宿中に、閏秒を廃止して閏時間を設けるという新聞記事を読んだ。なんでも閏時間は数百年後らしい。気の長い話である。この話の裏側には、閏秒を設定するのかかる莫大な労力と費用の問題があるらしい。閏秒も閏時間も日常感覚とはかけ離れているが、そうした精密な時間を必要とする領域も存在するのだ。
来週はゼミ合宿。通算10回目となる。これまでには、忘れられない思い出もある。
1998年に河口湖に出かけたときは、期間中ずっと雨模様だった。買っていった花火をする暇もない。軒先でちょっとだけ火を付けるような始末。挙げ句の果てに、帰る日には台風の影響で中央線がストップしてしまった。バスを予約していた人を除いて、そのままでは帰れない。数台の車で分乗して東京まで帰ることに。何とか台数も足りて、なんとか無事に帰宅することができた。
1998年台風5号
2001年の合宿は、エピソード記憶に残る。この年は、数台の車で分乗して出かけることになっていた。昼前に集合する予定だった。だが、台風が来ている。中央自動車道も普通のようだ。電話連絡を取って、集合時間を延期する。午後3時頃、集まったところで八王子インターに向かった。だが道路がやけに混んでいる。まだ交通止めが続いていたのだ。やっとのことでインター近くまで辿り着き、ファミリーレストランで時間をつぶす。夕方になって台風も通り過ぎ、中央道も開通になった。河口湖に向かう道すがら、夕焼けがとてもきれいだった。宿舎に着いたのは、8時前頃だったろうか。遅い夕食を取る。その後、コンパをしていると、テレビから流れてきたのはツイン・タワーが崩れ去る衝撃的な映像だった。
2001年台風15号
今年は果たして、いかなることに。
1998年に河口湖に出かけたときは、期間中ずっと雨模様だった。買っていった花火をする暇もない。軒先でちょっとだけ火を付けるような始末。挙げ句の果てに、帰る日には台風の影響で中央線がストップしてしまった。バスを予約していた人を除いて、そのままでは帰れない。数台の車で分乗して東京まで帰ることに。何とか台数も足りて、なんとか無事に帰宅することができた。
1998年台風5号
2001年の合宿は、エピソード記憶に残る。この年は、数台の車で分乗して出かけることになっていた。昼前に集合する予定だった。だが、台風が来ている。中央自動車道も普通のようだ。電話連絡を取って、集合時間を延期する。午後3時頃、集まったところで八王子インターに向かった。だが道路がやけに混んでいる。まだ交通止めが続いていたのだ。やっとのことでインター近くまで辿り着き、ファミリーレストランで時間をつぶす。夕方になって台風も通り過ぎ、中央道も開通になった。河口湖に向かう道すがら、夕焼けがとてもきれいだった。宿舎に着いたのは、8時前頃だったろうか。遅い夕食を取る。その後、コンパをしていると、テレビから流れてきたのはツイン・タワーが崩れ去る衝撃的な映像だった。
2001年台風15号
今年は果たして、いかなることに。
今日から9月。雨模様の一日で、一気に涼しくなった。ホッとすると同時に、ちょっと寂しい感じ。
9月になって、今年度も12分の5が終わった勘定。折り返し時点も近い。後期の授業が始まれば、それこそ、あっという間に過ぎていくんだろう。後半に備えて、ちょっとだけ水分補給ではなく、読書に励んだ夏休みだった。
8月が終わって、今年は3分の2が終わってしまった。小中高校も2学期が始まった。秋の虫が鳴き、秋の味覚が出回ると、今年も残り少ないなあと感じる。今朝テレビに映っていた銀杏はまだ緑だったが、それが色づくのもあと少し。
いつものことながら、「今年度もあと…」「今年もあと…」と数える頃になった。人生の後半を感じさせる。虫の音が、より物悲しい、この季節。
9月になって、今年度も12分の5が終わった勘定。折り返し時点も近い。後期の授業が始まれば、それこそ、あっという間に過ぎていくんだろう。後半に備えて、ちょっとだけ水分補給ではなく、読書に励んだ夏休みだった。
8月が終わって、今年は3分の2が終わってしまった。小中高校も2学期が始まった。秋の虫が鳴き、秋の味覚が出回ると、今年も残り少ないなあと感じる。今朝テレビに映っていた銀杏はまだ緑だったが、それが色づくのもあと少し。
いつものことながら、「今年度もあと…」「今年もあと…」と数える頃になった。人生の後半を感じさせる。虫の音が、より物悲しい、この季節。