昨日、ルーヴァンから新ルーヴァンに行く列車のなかでのこと。レンズさんが大学生だった頃は、ルーヴァン大学でフランス語とオランダ語の二つの心理学講座が並列していて、ニュッタン(レンズさんの先生)は両方の講座で教えていたという。
その話の展開のなかで、レンズさんは高校生のときにラテン語とギリシャ語を3年間勉強したが、今の大学生は哲学の学生でもギリシャ語やラテン語を読めない(読まない、読もうとしない)ので、哲学の教授がぼやいているということを聞いた。近頃の学生は、翻訳本を読んで、それで済ませるらしい。
確かに、オランダ語や英語でソクラテスやプラトンを読んだ方が、原書で読むよりずっと早いだろう。日本では、どうだろう。日本は翻訳文化の国だから、実にいろいろな国の書物が日本語になって出版されている。だから、原書を読まずに、翻訳だけで済ませてしまうことも十分にできる。
最近では、その翻訳本さえ読まずに、「○○早わかり」の類の紹介本をちらっと読んで、思想家や歴史家の理論や体系を「理解」したような気になっている人が多いような気がする。出版界も読者も双方が、それぞれの思惑で、できるだけ容易な本を求めているのではないだろうか。
教養を身につけることは、自分の内面を耕す営みに通じるものである。目先のことだけ考えるのではなく、遠い未来を見据えるなかで、教養のもつ本来的な意味を理解できる。迂遠であるように見えても、着実に一歩ずつこころの大地を耕し、明日へとつながる今日を生きていくことが強く求められている。真の教養は、人間が生きていく上での力となるにちがいない。
IDの危機と確立の好機
その話の展開のなかで、レンズさんは高校生のときにラテン語とギリシャ語を3年間勉強したが、今の大学生は哲学の学生でもギリシャ語やラテン語を読めない(読まない、読もうとしない)ので、哲学の教授がぼやいているということを聞いた。近頃の学生は、翻訳本を読んで、それで済ませるらしい。
確かに、オランダ語や英語でソクラテスやプラトンを読んだ方が、原書で読むよりずっと早いだろう。日本では、どうだろう。日本は翻訳文化の国だから、実にいろいろな国の書物が日本語になって出版されている。だから、原書を読まずに、翻訳だけで済ませてしまうことも十分にできる。
最近では、その翻訳本さえ読まずに、「○○早わかり」の類の紹介本をちらっと読んで、思想家や歴史家の理論や体系を「理解」したような気になっている人が多いような気がする。出版界も読者も双方が、それぞれの思惑で、できるだけ容易な本を求めているのではないだろうか。
教養を身につけることは、自分の内面を耕す営みに通じるものである。目先のことだけ考えるのではなく、遠い未来を見据えるなかで、教養のもつ本来的な意味を理解できる。迂遠であるように見えても、着実に一歩ずつこころの大地を耕し、明日へとつながる今日を生きていくことが強く求められている。真の教養は、人間が生きていく上での力となるにちがいない。
IDの危機と確立の好機