気温が30度を下回る。秋が近づいてくるのが分かる。秋の虫は情緒があるが、テレビの中で、所構わず鳴いているのは、いかがなものか。ジー、ジー、ミン、ミン。
大学院時代に、喫茶店で100円を入れてインベーダをやっていた私にとって、今のゲームは何とも理解できないものである。
まず、いつでもどこでもできること。際限が無く、区切りがない。それをどうやって自分で区切ることができるのだろうか。
ゲームは、大人が作り、子どもに遊ばせる。その大人は、子どもの未来を考えているのか。甚だ疑問でる。
とは言っても、世の中は進む。ゲームを通じて、世界が変えられるとしたら、ゲームの可能性があるのかもしれない。
強くもなく、弱くもなく、ブレるでもなく。
バランスを取って生きることは、容易ではない。
力を誇示して、自分を大きく見せようとするのは、愚の骨頂。
弱さを見せて、助けを求めることができなければ、ダメなのだ。
ああ、この世界に生きていくことは、何と難しいのだろうか。
人は人を求め、人とともに生きる。
そのことを改めて感じる日々。
久しぶりに駅前まで行った。帰りにバスに乗ろうとして時刻表を見ると、これまで1時間に3便あったのが、2便になっている。
自粛生活が続き、それが少しずつ緩和されても、公共交通機関に乗って外出する機会は確実に減っている。バスの利用客も、同じように確実に減っている。
このような事態が続けば、そのうちに1時間に1便になり、そして、その次には、廃止。そんな悲しい未来が見えているような気がしてならない。
コロナ禍で、自粛生活が余儀なくされてから半年近く。それまでとは違う日々が続いてきた。そして、それがいつまで続くのか。それは分からない。明日は、今日と同じような日になるのだと思う。そして、それはいつまで続くのか。
ケの日ばかりが続き、ハレの日はない。それが今の日常。いつまでこうした明日が続くのだろうか。
このコロナ禍の状況下で、いろいろな人の人生が大きく変わってしまった。ように思えるが、それもまた人生の中に織り込み済みのものだったのかもしれない。と思えば、また、違った見方ができる。人生とは不可解なものであるのだと改めて思う。
コロナ禍以降の世界は、それまでは変わった。知っている人たちと知らない人たちが、はっきりと区別される世界が生み出された。知らない人たちとは距離を遠ざけ、決して近づいたりしない。そして、知っている人でも、心底から信頼することができない。そんな世界が生み出された。ああ、なんということなのだろうか。
未来はわからない。絶対にこうなるというこtも分からない。だから前を向いて歩いていける。それが人生というものなのだと思う。
9月に入っても厳しい残暑が続いている。今日は、からっと晴れたせいか、日差しも強く、肌を刺すよう。こんな暑さがいつまで続くのか。
一方で、台風9号、10号と連続してやってきて、超大型で暴風雨も激しいらしい。これもまた、地球温暖化の影響なのだろうか。
餃子を食べると思い出すのが、池袋にあった餃子会館。学生時代に、吉野家と同じぐらいお世話になった。
一皿に餃子が12個(10個だったかもしれない)乗っていた。ご飯は美味しいとは言えない代物だったが、お代わりが自由にできた。
腹の減る若者にとっては、餃子とご飯で、満腹になることができた。
値段は覚えていないが、安かったことは確かだ。だから何度も通っていたのだ。
池袋西口から歩いてすぐのところにあったと記憶するが、場所は定かではない。
時間の流れを色で喩えてみる。明日は何色だろうか。
ある人は赤。そして、別の人は黒。さらに、灰色という人も出てくる。
人によって、明日の色は違う。
なぜ?
そこに個人の感じ方の違いが現れてくる。
明日は何色でもいい。それが結論。
明日が来れば、それでいい。来なかったら、ああ、それは不幸。生命の連続性が絶たれるということだ。
1923(大正12)年9月1日午前11時58分、相模湾を震源地に発生した関東大震災。関東一円に被害が発生した。
今では、その9月1日は防災の日。市からは、総合防災ガイドブックが配布された。
近頃、台風や地震など、様々な災害が大規模化して、日本列島を襲っている。次は何か。恐る恐る思考する日々。
備えるに越したことはないが、自然は人間を超えた力を持っている。どうすれば良いのか。結局は、便利な今の生活を一部分諦めることではないかという結論に至る。
ただし、地球上の過半数が、賛成しない限り、その実効性は担保できないだろう。