イコンのもとに

大寒、迎えました。あったかくしてお過ごしください。
またプール通い始めました。

真のグローバル

2014年03月05日 | イコン
正教会のマトシカ(神父様の奥様のこと)と電話で話していたら、
娘さんがご近所のカトリックの幼稚園に通われているとお聞きしました。

それはいい!
幼稚園でも、お家でも、
神様に守られて育つなんて、いいなと思いました。
それが、仏教系の幼稚園であっても、
仏様と神様に守られるなんて
ガッチリ、ダブルでいい!と私は思います。

習っていたイコン画家には
発する言葉にかなりの問題があり、
「この人とのつきあいはいつまで続くだろうか?」と思いながらの10数年のつきあいでした。
人間が40過ぎれば、惑わず。
己れの口から出る言葉には責任をとるべきで、
ましてや聖画を描く人間なら、
言葉が、その画家を表すわけですから、
イコン画家の言うことが、
画家自身の思想を表していると理解しよう、
と私も両親と話していました。

日本正教会の歴史はまだ浅いわけですから、
いろんな考えのイコン画家がいて当然と思いましたが、
「おかしいのよ、
神社なんかで結婚式しちゃって」という言葉を度々聞き、
今の普通の宗教にこだわらない日本人なら神社で式を挙げるだろうと私は思いますが、
このイコン画家の考えはすごく偏った考え方で
お茶をいれてあげても
「私は紅茶にうるさいのよ」と
出してあげたお茶を、
これはいい、あれはダメといろいろ言うので
両親も「家に入れるな」と言う始末。
つまり、
常識あるつきあいはできない人なので、
私はいつかつきあいができなくなるだろうなと予感していました。

正教会が素晴らしくて
他の教会や宗教とは別である、という考え方があって、
これは、イコン画家夫婦の岡山批判と全く同じだなと両親とも話しました。

私の絵を展示しているギャラリーにもやってきて
「こんな絵じゃだめよ!」と言い
こうしなさい、この絵具にしないとだめよ、と言います。
私以外にも、同じことをしているだろうなと思っていたら、
他の作家にも被害者があり、
ギャラリーにも、この態度は嫌われており、
この夫婦ふたりの「他人批判」は
いったいいつまで続くのか?
死ぬまで延々と意地悪爺さんと婆さんをするつもりだろうか?
と考えていました。

オリエント美術館へイコン教室の開催をお願いするときにも
作家たちから「あの人は岡山の悪口ばっかり言っているから
紹介しない方がいいよ」と言われましたが、
それは、もう、60過ぎた人間ですから、
言動は全て本人の責任ですから、
何かあれば、教室で出てくるだろうと思いました。

イコン教室最初の日に
「この金箔は、私にしか売らないって言うのよ」と
金の独占販売を教室で言っており、
どこにでもあるシール状金箔を自分にしか金箔屋は売らないんだと言います。
私は唖然として、
この画家は自分で言っている通り、
「夫が私に苦労はさせなかったから」とか
「神父の娘なんだから、敬われて当然よ」と言う口癖は
この人は本気で思っているんだ、と思いました。

それでも、イコンの知識は知りたかったので
毎日新聞社での教室で
しばらく習いましたが、
イコンを利用した自分の宣伝や
画家のアトリエの手伝ったイベントで
勝手に私の用意した商品をオープニングパーティで食べられ、
その支払いがなかったり、
生徒によって受講料が違うなど
イコン教室内での差別発言や金銭トラブルが次々とあり、
普通の習い事では考えられませんから、
私や数人の生徒は辞めました。

「私はイコンを描いているんだから、
敬われて当然でしょう」と言っていましたから
イコン教室自体、このイコン画家自身の宣伝として使われており、
これは、無理だ、
この人は私が習う画家ではない、
正統な正教会のイコン教室はやはり、
教会内で開催されるべきであって
この先生のイコン教室は
正教会のことなど知らなくても
お金があって、時間がある方の
趣味の教室であればいいのではないかと思いました。
(イコンがお好きで描かれるのは、
全くの自由だと思います)

「主人の作品は、ギャラリーで買ったら10万円もするのよ。
あなた、欲しかったでしょう。
失敗作だけど、あげるわ」と
言われながら渡された失敗作の曲がった花瓶や茶碗は
全てお返ししました。
同じように渡された人の中には
お金を払った人もいたらしくて、
知人は「気持ち悪いから、すぐに割って
捨てた」と言っていました。

この「芸術家」というのは、いったい何なのでしょうか?
私が今まで教えていただいた日本画や仏画の先生たちには
こういう人はいませんでしたから、
結局、最後まで全く理解できないおつきあいでした。

人間を比べたり、差別化するのは
決して宗教とは言えないんじゃないかと思います。
(人を理由もなく攻撃してくる人間は別ですよ。
私はそんな人間は許しませんから)

「岡山の人間はバカばかりだ。
私たちの芸術を理解できない」とよく言っていましたが、
どちらがバカか?
「なぜ、あんな人がイコンを描いているのか?」とよく聞かれましたが、
イコンは誰でも描けますから、
あとは、その人の人間性だと思います。

私は、岡山の悪口を言い続ける人が
絵の先生だなんて嫌だな、と思いましたから
完全に離れました。
人間としては、晩年になる年齢ですから、
私はとてもついていけませんが、
この画家は、こういう生き方なんだと思います。
批判や差別をして生きてきた芸術家夫婦なんだなと理解しました。
この夫婦の娘さんにも、そう伝えてあります。
精神科にかからなければならないのであれば、
ご家族でなんとかして欲しいとも書きました。
イコン画家本人には
「いろんな絵の先生を知っているけど、
こんなにダメ出しの多い人には初めて会った。
イコンはあなたから習わなくても描ける」と手紙に書きました。

このイコン画家より、
神父様方やマトシカ、奥様方は
やはり、修業されていると思いました。
偏った宗教感はナチや詐欺と同じようなものです。
画家の娘さんには「まるでナチのようだ」と手紙の書きました。

真のグローバルは、
中心が頑としてあり、
全てを受け入れるんだと思います。
そして、
本当に強い!
強い人間になろうと私もずっと思っています。

宗教を利用した「私はイコンを描いているんだから、
岡山の人間は私を敬って崇めるのが当然よ」とよく言っていましたが、
そんなのは、うんざり!
「敬え、崇めよ」は、
神様やハリストスやマリアのことであって
イコン画家個人では決してない。
それを勘違いすると、
それこそ、ナチと変わらない。
これは許してはならない考え方ですから、
離れてよかったと思います。





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花時計