いさら井の ごとくすくなき 乳を飲み 黄金の駒の ごとく育ちぬ
*「いさら井」とは、水の少ない井戸や湧き水のことを言います。「いさら」とは「小さい、細い」などの意を添える接頭語です。ほかにも「いさら川」とか「いさら水」という言葉がある。昔の言葉には美しい響きの言葉がある。勉強していて損はありません。
水の少ない井戸のように、少ない乳しか飲めなかったというのに、あの子は黄金の馬のように大きく、立派に育ってくれた。
「駒」とはもちろん馬のことです。言わないでもわかるでしょうが、一応。
あの人は、貧しい家庭に生まれました。両親はすぐに離婚して、幼い頃に母親がいなくなった。父親もやがて、育児を放棄して、かのじょを施設に預けた。後に親戚にひきとられたが、そこでも深い愛情には出会えなかった。
毎日のように、役立たずと馬鹿にされて、八百屋の手伝いをさせられた。
結婚しても、夫は理解してくれず、子供を育てながら、孤独に勉強しなければならなかった。
だがそれでも、かのじょは環境に負けず、努力して学び、大きく愛を育て、国運を自ら背負い、人類を救済する大きな一手を打つほどの、大きなものに成長することができた。
寒く乾いた環境で、あそこまで大きな愛を自分の中に育てていくことができたのは、どうしてか。
神が創られた創造の中には、とても難しい環境の中でも耐え抜いて、大きく育つことのできる愛があるのです。
馬には耐えられない環境も、ラクダなら耐えられる。牛には耐えられない環境も、トナカイなら耐えられる。さくらが咲くことのできない冬に、さざんかは咲く。
人間は、自分にできないことが、できる存在がほかにあるということを、深く学ばねばなりません。自分が耐えられないからと言って、みながそれに耐えられないわけではないということを、知らねばなりません。
まじめに勉強し、つらいことに耐えるという訓練を積んできた魂は、まだ勉強の浅い人間にはわからないことができるようになるのです。
どうしてできるのか、それが馬鹿にはわからない。なぜなら、やったことのないものは、その理由がわかるはずがないからです。
まだ勉強が浅いうちは、目立つところに出て注目を浴び、金や名声をめったやたらに欲しがるものだが、勉強が進むと、そういうものはなんの意味もないことがわかってくる。そういうものばかりむさぼっていると、どういうことになるかを知る。そして人は、何の意味もないものを欲しがるよりは、神の与えてくれた自分を正直に生き、生命力を素直に表現するだけで、偉大なことができる自分になれることを学ぶのです。
この世界には、馬鹿にはわからないことがあふれている。そういうことがわかるだけでも、勉強は進みますよ。