薔薇を摘み 背く子が見る 窓に置く 夢詩香
*この句は最初、「菊」でしたが、「薔薇」に詠みかえました。そのほうがいいと思ったのです。
あの人には4人の子供がいますが、今その一番上の子が、逆らっています。心を閉じて、背を向けている。世間に出ようとせず、閉じこもっている。
いわゆる引きこもりというやつですね。かのじょもほぼ半引きこもり状態でした。外に出て行くのは、買い物や、学校に用があるときくらいでした。そのほかのところには出て行かなかった。なぜなら、この時代の人間は、ほとんどすべて嘘の人間だからです。
彼らは自分を偽っている。他人の皮をかぶり、全然別の人間になって、本来の自分ではないものになりきっている。その嘘が痛い。見るのがつらい。彼らは自分の存在自体が嘘になっているので、それをごまかすために、あまりに愚かな嘘をつく。それが金物の切れ端のように、時に他人の心に突き刺さる。
表面を取りつくろって、当たり障りのないことを言って付き合うのにも、ひどくエネルギーがいる。嘘などつけない人だからです。
だから閉じこもっていた。
そしてあの子も今閉じこもっている。だが、わたしたちは無理に彼を外に出そうとは思いません。そんなことをしても、また彼が傷つくだけだ。悪いのは彼ではない。彼が本物の人間だからと言って、目の敵のようにいじめる世間の方なのです。
わたしたちは彼を愛している。なぜなら、かのじょがあの子を深く愛していたからです。かのじょの心も、あの子を外に出してやりたくないと言っている。あの子が外に出られるようになるまで、待ってやりたいと思っている。
わたしたちは、そのかのじょの心に変わって、あの子のために一番いいことをやってやるつもりです。
この世界自体を、あの子が生きていける世界に変えてやろうと思っている。悪いのは世間の方ですから、本物の人間が生きていける世間を、作ってやろうと思っているのです。
薔薇はその約束のようなものだ。痛い棘はあるが、花はあまりにも美しい。どんな苦労をしてでもやってあげよう。
生きにくすぎるこの世界の中で、あの子はかのじょにとって、最も明るい愛だったのだ。おまえがいただけで、どれだけあの人は助かったことだろう。
だからなんでもやってあげよう。