悪人が 勝つと思ひて 世を盗む 夢詩香
*かのじょの愛らしい作品の次には、なんだか男らしくきついものが欲しくなりますね。口当たりのいいあっさりとしたケーキの後に、なんだか重厚なステーキでも食べたくなる気分です。
なので、こういうのを選んでみました。
悪いことをするというのは、実は簡単なことです。ほとんど、人を馬鹿にすればいいだけのことだからです。
真面目に努力している人をあざ笑い、そんなことをしても無駄なんだということにするために、裏に回って嫌なことをして、真面目によいことをしている人を、ひどい目に会わせる。それで、悪いことができる人間の方を偉いことにするのです。
人を馬鹿にするということは、人の美しいところの一切を認めようとせず、馬鹿でくだらないものだと言って、いやなことばかりしていじめるということです。そんなことをして、人を苦しめれば、それが返ってきて、自分もつらいことになるのだが、悪人というものはそれがいやで、あらゆる技術を弄して、自分の方がいいことにするために、馬鹿なことをみんなよい人の方に押し付けてきたのです。
それは一時期は、功を奏して大層羽振りがいい境遇を持ってくるのだが、すぐにだめになる。馬鹿なものは、正しい自分の修行をせず、他人の努力を大量に盗んで、自分の巨大な牙城を作るのだが、いつでもそれは、蟻塚のようにもろく崩れていく。
そういう幻の時代を、いくつも潜り抜けてきたのに、馬鹿は一向に改めることができず、悪が正しいという世界を作るために、馬鹿なことを繰り返してきた。
大勢の勢力で馬鹿をやれば、なんでもできると思っていた。なのに、大の男が五千人もかかって、小さな子猫のような女一人に、かなわなかった。
一粒の純真な愛が、小さな自分の人生を正しく清らかに生き抜いたというだけで、大軍をなして襲いかかってきた馬鹿男の正体があらわになり、すべてが馬鹿なことになった。
悪人がすべてに勝つと思い込んで、あらゆることをやり、神から世界を盗んでみると、そこから愛する女がすべていなくなった。それだけで、馬鹿男がやったことは、すべて無駄になったのです。
なぜならあれらはみな、すべてを美女のためにやっていたからです。
馬鹿の結末とはこういうものだ。結局は、愛を馬鹿にしているから、愛を失い、すべてを馬鹿にしてしまう。自分の生き方が、まるごと馬鹿になる。
男が会社を作って金を儲けるのも、マラソンランナーになって優勝を目指すのも、みな美女のためにやっていることなのだが、それを見てくれる美女がいなくなれば、あまりに馬鹿らしいものになってくる。
みなが、冷めた目で見始める。あんなにがんばっても、いい女なんてどこにもいないのにと。
悪いことをして、神から盗んだ世界が、阿呆になっている。