あだしよの ちとせの玉を 噛み砕き 君知るや今 まことの君を
*これも、フェイスブックのノートから持ってきました。かのじょの作品です。
素直な語り口だ。けじめをつけるというきつさがすっぽりと抜けるほど、素朴で、愛らしい。あの人らしい作品です。
「あだしよ」とははかない無情の世のこと。ひいては、嘘と悪がはびこる幻の世界のことです。「ちとせ(千歳)」はただそれくらい長い年月のことだと思いましょう。歌や句に詠まれると、言葉は柔らかく広がって来ます。
むなしい嘘ばかりがはびこる世界が何千年と続いてきたが、今その月日を振り返り、あなたは何を思っているだろうか。本当の自分というものが何なのかを、あなたは知っているだろうか。
まるで、この大きな人類のけじめを、軽々と超えられる低いバーだと思っているかのようだ。いや実際、あの人にとってはそんなものなのです。悪いことなどできないまっすぐな人には、悪いことばかりして大きな苦悩を持つ人ほど、進化の壁は厚くない。すんなりと超えられていけるのです。
だが、あなたがたはこれほど軽く、進化の歌を歌うことはできないでしょう。身を半分ちぎるほどの苦悩を味わわねば、越えられぬ人もいる。そういう人は、もっと重厚な歌を歌うでしょうね。例えばこんな風に。
あだしよの 暗きおらびの 伏せる身を 神の焔に 踊り落とさむ 夢詩香
一応言っておきますが、「焔」は「ほむら」と読みましょう。「ほのお」よりは痛い感じがしていい。「おらぶ」は大声で叫ぶこと、「踊る」は跳躍することです。どちらも男性的な強い動きですね。
いやな世の中で馬鹿ばかりやってきた者の、暗い叫びが内部にひしめいている、その体を焼き尽くそうと、神の炎の中に飛び込んでいく。
馬鹿をやりすぎたものにとっては、進化の脱皮は、業火にあぶられることや、身を引き裂かれることほど、馬鹿にきついものなのだ。
だが男ならば、当然それくらいのことはやれなければならぬ。嫌なことが男ほどにはできない、女とは違うのです。
あの人は優しすぎる。自分のゆくべき道のヒントを、あの人だけに頼ってはいけませんよ。美しい真実を語ってくれるが、あれは天国に住んでいる精霊のような美女なのです。見えはするが、あれに届くところに行くまでに、男というものは難関を何度でもくぐらねばならない。
美しい女性とは、男に目的地を教えてくれる。いくべき方向を教えてくれる。
だが、どうすればそこに行けるかを教えてくれるのは、もっと厳しい男なのです。