陽だまりに つつじ咲きにし 訳を問ふ 夢詩香
*これは、いつもゆくスーパーの近くにある家の、庭に咲いているつつじです。つつじは一応初夏の花だが、この南の国では、日の暖かい冬の日にも咲くことがあります。
身近にいる花は、身近にいる人間をよく知っている。だからこの花も、親し気な顔でわたしたちを見てくれる。いつも近くから、一生懸命に生きていたあの人を見ていたからです。
あの人は、花の心を感じるのが好きだった。咲いている花を見つけては近寄って行き、美しい目で見ていた。心を教えてくれと言って、花に語り掛けていた。花は、最初はおずおずとだが、かのじょの素直な心に惹かれて、だんだんとものを言うようになっていったのです。
かのじょは花々が言ってくれたことを、自分なりに翻訳していて表現していた。それは、かなり、花々にもうれしいことだったのです。自分の心を、みなに言ってくれる。わかってもらいたいけれど、わかってもらえないのだと思っていたことを、かのじょが少しでも言ってくれる。
その人がいなくなったことは、花々にも悲しいことなのだ。そういうことを、この花は言っています。
つつじは麗しい花だと、かのじょは言ったことがある。本当は山にいて、人知れず咲いていたいのに、人里にきて咲いている。それはつつじが、自分たちの花を必要としている人間の心を、見捨てることができないからだ。そんなにも、つつじは心優しい花なのだ。と、そうかのじょは言ったことがある。
心のやさしい人だったからこそ、この花の心がわかったのです。きめ細やかで深い女性の心だからこそ、この深く女性的な心を持った花の心がわかったのです。
風の冷たい冬の日に、陽だまりを縫って咲いてくれた花には、少しでもかのじょに花を見せてやりたいという心が見える。あの人は眠っているが、きっと何かが届くだろう。きれいに咲いていれば、神が助けてくださるだろう。
人間よ。教えてあげましょう。女性というのは弱いものだ。男のように強いことはできない。だからこそ怖いのです。
ただひとかけらの美しい心だけで、神を動かしてしまうことがあるからです。