裏切りを 許したる日の 日向かな 夢詩香
*この時代に生まれてきた天使の中で、かのじょは最も不遇な境遇を受け持ちました。
とても業の深い貧乏な家に生まれた。父も母も人格の低い人でした。特に母親はとんでもない偽物の美人でした。女優のようにきれいな顔をしていたが、目つきはきつかった。人があきれるようなことを平気でした。家事もさぼりがちで、よく遊んでいた。父親はほとんど顔だけであの母を選んだのだが、その反動はきつかった。
ある日突然、母はいとも軽く家庭を捨てて出て行ったのです。物事を知らなすぎる馬鹿な女はよくそういうことをする。要するに、嫌な男にひっかかったのですよ。見るからにひどい例になった。知っている人も多いでしょう。
かのじょが母親に捨てられたのは、七つくらいのことだったでしょうか。小学一年生の時に、運動会の玉入れの赤い玉を手作りしてもらった記憶があります。ぞんざいに作ったらしく、すぐに破れてしまい、かのじょはそれが恥ずかしくて、運動場に落としたまま、拾いにすら行かなかった。母が出て行ったのはたぶん、そのすぐあとでしょう。
親に捨てられるという経験は痛い。だがその経験は一度では終わらなかった。かのじょは小学5年生になる前に、父親によって弟と一緒に児童相談所に預けられた。再婚相手が、子供をいやだと言ったからです。かのじょは父にも捨てられた。
親に捨てられた子供の魂は、闇を泳いで行かねばならない。かのじょはとても苦しんだ。当然、親を怨む気持ちは生まれます。
親はほとんど何もしてくれなかった。つらいときは、いつも自分で耐えた。隙間風の吹き抜ける寒い家の中で、裸の身を抱きしめているような子供時代を、かのじょは過ごした。暖かな愛などほとんどない。そんな人が、天使の中でほとんど唯一生き残ったというのは、不思議なことのようにも思える。
だが一方で、子供時代のあのすさまじい環境を耐えてきたからこそ、後のもっとひどい試練にも耐えていくことができたと言えるのです。馬鹿な人間たちに何度も暴力的な仕打ちを受けることによって、かのじょは自分を低くする、小さくするという技を身につけていった。いらぬものを捨てるという技を確かに大きく育てていった。
かのじょが、父親を許したのは、20代に入った頃です。子供のころに抱いていた激しい恨みの感情の、一切を捨てた。自分を捨てた親への恨みとは相当なものですよ。味わったことのある人は知っているでしょう。だがかのじょはある時、そんな恨みをいつまでも持っていると自分の人生を始めることができないと思い、大きくたまっていた親へのうらみつらみの感情のすべてを捨てたのです。
そのときの感慨が、こんな感じでした。わだかまりの一切を区切りとして捨てたら、神の光が自分の心に差してきたのです。
何もない空間に、明るく清らかな光が満ちてきた。美しかった。もうそれですべていいと、かのじょはそのとき思ったのでした。
あの人は後に、また大きなものを捨てましたが、そのときにはもう十分に慣れていましたね。裸の自分になっても、あの神の光が自分にはあるということを知っていたから、身をちぎるほどに痛くはなかった。
あなたがたは本当に何も知らない。
あの厳しい人生の中で、あの高い魂が何を得ていたのかを、まるで知らない。
馬鹿にどんなひどい仕打ちを受けようとも、まっすぐな自分がたわまない存在というのは、いるのです。