白玉の わがこかなしや ともにゐて 親はいやぢゃと いふその背かな
*俳句では、時に「背く子」というテーマを詠んでいますが、今かのじょの長男は親に反抗して閉じこもっています。
いろいろな事情はあるのですがね、要するに、下の子はそうでもなかったのだが、一番上の子は、かのじょの子であるというだけで、かなりのいじめを受けたことがあるのです。
幼い頃は明るいおしゃべりな子だったのだが、たぐいまれな美女が産んだ子供だというだけで、いやなことをたくさん経験したのです。だから年たけて来ると、とても暗い表情をするようになった。
かのじょはそれに気づいていましたが、どうすることもできませんでした。親としてできることはしてやりたかったが、救済の方が忙しかったのです。
もうこの世に天使はほとんどひとりしかいなかった。国のことも人類のことも、本気で考えているものは、おそらく自分一人しかいない。やらないわけにはいかなかった。
閉じていく子供の心を、見てやることもできなかったのです。
それでもできることはしてやっていたのだが。親の心というのは子供には通じがたいものだ。いや、通じないほうがいい場合が多いのだが。
親にしばられる子供というものもつらいものだ。反抗したいのなら反抗させてやった方がいい。
引きこもる気持ちもわかる。自分もまたそうだった。外の世間の風は冷たいなどというレベルではなかった。人をみれば残酷に食うてやろうとする魔があふれるほどいたのだ。
逃げ場所を守ってやろう。そして、我が子がまっとうに生きていける世界をつくってやろう。
それが親の気持ちでした。なんでもない。もうそれしかできなかったのです。
かのじょが考えていたことはわたしたちがひきついでいる。かのじょから生まれてきてくれて、寂しい人生を明るくしてくれた子供たちのために、この馬鹿げた世界を変えてやろう。
そのためにも、わたしたちは毎日のように、あらゆることをやっているのです。