長道ゆく 人のうれひを とほくみて 高く澄みける 朝の月かな
*「長道」は「ながち」と読みましょう。文字通り、長い道のりという意味です。同じ意味で「長手(ながて)」という言葉もあります。こういう文字の少ない言葉は押さえておくべきです。見つけたら自分でも積極的に使ってみて、こなしておくのをお勧めします。
訓練とは実践だ。次の機会にすることにしては忘れてしまう。古語辞典でおもしろいと思った言葉があったら、すぐに使って何かの作品を作ってみましょう。
長い道をゆく人の憂いを遠く見ながら、高く澄みきっている、朝の月であることよ。
影でかのじょを馬鹿にし、ありとあらゆる暴言を吐いた人は、これからそれを支払わねばならない長い年月が待っています。長いと一言では言うが、その道は苦難に満ちている。今までやって来なかった心の課題が、いっぺんに押し寄せてくる。ありとあらゆる経験をせねばならない。
影からひどい悪口を言って、他人を扇動して、憎い女を滅ぼそうとすることなど、何でできると思いますか。その人が何も勉強していないからです。そんなことをすれば人がどんなに苦しむかとか、どんなつらい思いをするかとか、そういうことを思うことが全然できないのです。
想像力の欠如というは、もろに不勉強の証です。自分のプライドが折れて、人に馬鹿にされて、つらい思いをするのがいやで、そういう勉強から逃げ続けてきたからです。
勉強のできた人は、時には過ち、時には人に馬鹿にされながら、それに真面目に取り組んできたのです。自分の心であらゆるつらさくるしさ悲しさを味わってきた。その経験が自分の中にやさしさを培っている。
そのやさしさを持っているものなら、人を不幸に陥れることなどできるはずがないのです。
そういうことを平気でできる人は、何も勉強していない人だ。だからこれから、今までやって来なかった勉強をずっとやっていかねばならない。
これでもかという辛い思いをせねばならないでしょう。人に馬鹿にされ、いやなやつだと言われ、否定されるばかりでしょう。そういうことばかりしてきたからです。苦しいことから逃げ、全部人のせいにしている限り、その苦しみは続く。何かが肝に入り、すべてがわかるまで、人の苦しみの道は長く続くのです。
そういう人の憂いの姿を、月は高みから静かに見下ろしている。何を思っているだろう。あきれているだろうか。自分で勝手にやっておいて、自分で勝手に落ちている人間の愚かさに。
それは月に聞いてみねばわかりません。ただその月は朝の月であるらしい。何もかもを知って、これからどこへともなく去っていく月のことらしい。