おくやまに 石切る人の その夜の 深き眠りに ひそみたき百合
*今日はかのじょの作品からとりましょう。これはかのじょの詠んだ歌の中でも人気が高いものです。好きな人がたくさんいる。
奥山で石を切っている人の、疲れ果てて眠るその夜の、深き眠りのなかに、ひっそりと咲きたい百合。
美しいというより、何と可憐な歌だ。これが男性だとは思えないでしょう。男性も女性に生まれてくるとかなりかわいらしくなるが、ここまでしおらしくなれるかと言えば、疑問がありますね。
男性も勉強のために時々女性に生まれて来るときがあるのですが、そういう女性はかなり気が強くなるものです。おとなしく男に従いたくないという気持ちがある。かなり何とかはするのですが。
だがかのじょときたらそういう男の気概みたいなものも、どこへ行ったのかと思うくらい、可憐にかわいい歌を詠ってくれるのだ。
自分を小さな百合にして、疲れ果てて眠っている男の夢の中にひっそりと隠れてあげたいなどと言うことは、女性でもあまり考えませんよ。かわいいですね。
こういう歌を詠える人が、驕慢などであるはずはない。かまととぶってこんな感じに詠うこともありますがね、そういうのはどんなにうまく詠ってもどこか胡散臭い。馬鹿なら騙されるでしょうが、感性の進化した人間はだませません。
これは実に、マジ、というものです。
マジという言葉は近現代のスラングですが、真面目、ということばから発して、真剣、という意味になり、それから発展して、とんでもない本当、という感じになってきている。信じられないけどこれマジよ、という感じで。
嘘というものが、大きくなりすぎた時代だからでしょう。ただただまじめだということが、あまりにも大変なものになってしまっていたのです。
一生懸命まじめに生きているだけなのに、世間の人間が大勢固まって総攻撃を加える。
それほど人間は、嘘ばかりついていた。そしてそれに疲れ果てていた。
その夢のような人生の中で、これは美しいというひともとの真実の百合を見つけた時。それはたしかに、目立たないようにかたすみにひそんでいたのだが。
愚かな石工の群れは狂ったように百合に襲い掛かったのです。
そんなかわいらしい本当の愛が、たまらなく怖かったのです。