ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

せぬせぬしね

2017-12-20 04:19:29 | 短歌





長き夜を せぬせぬしねと なきてこし 馬鹿はあしたの 野辺に散りぬる





*蝉の歌から発展して、みむみむせむ、とか、せぬせぬしぬ、とかの言い方が板についてきましたね。こういう聞きなしというか、しゃれはおもしろい。鳥のさえずりなどの聞きなしの応用というべきものでしょうか。日本語の伝統というのはじつに便利なものです。

手元の野鳥図鑑などをくってみても、日本の人が鳥の声をどんなふうに聞いてきたかが書いてあっておもしろいですよ。ほととぎすは「特許許可局」とか「てっぺんかけたか」とか鳴いているように聞こえるそうだ。

時々、わたしたちの歌では、ほととぎすが「ここよ」とか「ここよき」とか鳴いていることになっていますが、もちろんこれは、本当はほととぎすではなく、カッコウのほうです。カッコウの、カッコウと鳴く声を、「ここよ」と聞きなしているわけです。いろいろな歌を読んでいると、時々「郭公」と書いて「ほととぎす」とルビを振っているものがあったりするものですから、ちょっと混同して使っているのです。まあ、野鳥図鑑で見ても、カッコウもホトトギスもとてもよく似ていて、素人では見分けがつきませんし。


ほととぎす ここはよきとぞ 鳴きわたり 一世の夢を よろこばむとす


それはそれとして、表題の歌はちょっと厳しい。

長い夜の時代を、せぬせぬしね、と鳴いてばかりきた馬鹿は、朝が来た野辺に散ってしまったことだ。

「あした」は「朝」のことです。「明日」の意味もありますが、前後で判断しましょう。「せぬせぬしね」というのは、要するに、自分は何もしないで、人には死ねと言って馬鹿にしてきた、という意です。実際何もしない人というのは、何もしないでできた時間を、他人を観察して馬鹿にすることばかりに使います。人が一生懸命やっていると、それだけで自分が焦ってくる。勉強する人にはそれなりのことがありますから、だんだんと美しく立派になってくる。馬鹿はそれがうらやましくてねたましくて、いやらしい邪魔ばかりするのです。

そんなことばかり、三千年もやってきて、とうとう、人類史の特別な決算の時代が来て、もはや万事休す、何もしたことのない人は何もすることができず、進化の試験に通れなくて、人類を落ちてしまったのです。

そして、人を馬鹿にして人の邪魔ばかりしてきて、人類に迷惑をかけてきた罪を、これから存分に支払わされるのです。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする