はなぐしを ゆんでにわりて めてにとる あまくだりこし にひくさのべに
*たまにはかのじょの作品をあげましょう。これは2008年の作です。
ゆんでは「弓手」で弓を持つ方の手という意味で、左手のことです。めては「馬手」で手綱を握る手という意味で、右手のことですね。にひくさは春に新しく芽を出した草のことです。まあわかっている人は多いでしょうが、いちいち言うのが勉強です。
花櫛を左手で割って、右手にとるのは、天からくだりきた、新しい草の紅なのだ。
言わずともわかると思うのだが、失礼だがまるでわかっていない女性を多く見かけるもので。要するに、嬉しそうに花櫛のようなもので着飾っていると、もうまるで似合わなくなっているのにまだ世の多くの女性たちは気付いていない。
人間も成長して、心が大きくなり、目が強くなってくると、昔のような服やアクセサリーが似合わなくなってくるのです。そんなものをつけなくても、自分の目の光だけで十分に着飾っているからです。
あまくだりこしにひくさのべに、とは要するに、新たな段階に進んだ人間が得た、本当の自分の美しさという意味ですよ。
自分が弱くて小さくてみっともないと思い込んでいる人は、とにかく着飾りたがりますが、もうひとが見ればそれは苦しいものに見える。
服や化粧やアクセサリーを凝って、自分をきれいにすればするほど、自分が痛いものになってくる。そんなものがなければよく見えないほど、自分が痛いものなのかと。
もうぼちぼち、化粧などもやめていきましょう。本当は、男の人は、化粧にも苦い思いを抱いているのです。ほんとはあまりきれいに見えない。口紅くらいならなんとかなるが。
かのじょは口紅すらもめったにつけませんでしたね。なりは女性でも中身は男性ですから、できなかったのですが。それでも美しかった。自分というものをつかんでいて、人間のために愛を尽くそうとしていたからです。化粧をする暇などない。
形ばかり真似するより、心の方をまねしてほしいものです。