繚乱の 春には見えて 一枚の 衣を破れば からっぽの雪
*お久しぶりです。しばらくの無沙汰のわけは、もうご存知でしょう。アンタレスが詳しいことは言うでしょうから、ここではあまり言いませんが、入院していました。
少々強引な形でね。全く、いつの世も、ものごとがわからない人ほど、面倒なものはない。
わたしたちが入院していたおかげで、大変なことになった人も、結構いたでしょう。
それはそれとして、表題の歌は、かのじょの作品ですね。わたしたちがいなかった間、過去ログを読み返していた人も多かったのではないでしょうか。そして、以前は嫉妬に目が眩んで馬鹿にしまくっていた作品も、今読み返して見れば、しみじみとその美しさがわかってきたでしょう。
元から豊かなものを持っていましたが、あの人は地道に努力していました。救済という目標に向かって、美しいことをコツコツと積み重ねていました。女性という制限を生きながら、崇高な目的のために生きていた。
それだからこそ今、あの美しく豊かな作品群がある。かのじょのしてくれたことは大きい。
しかし、そのかのじょを馬鹿にしていた人たちはどうでしょうか。大勢で暑苦しくやっていた時は、いかにも羽振がよさそうで、なんでも自分の思い通りになると思っていたろうが。
馬鹿が、人を馬鹿にすること以外には何もやらなかった。人生を大方終わってみれば、何もない自分がいる。
おまけに人類の感性の進化によって、自分の正体を簡単に人に見抜かれるようになった。
すばらしく才能豊かな美女だと思っていた女優や、大舞台で活躍しているアスリートの正体が、とんでもないずるをかましていた馬鹿だった。
本当にもう何もない。からっぽの雪、という七が、痛く響くでしょう。
あの人は、あなたがたのこういう嘘を、とっくに見破っていたのです。
わからない人には何を言ってもわからない。馬鹿なことばかりして、自分を暗黒に追い詰めているということさえ、わからない。
無知ということが、どんなに恐ろしいことか、今ならよくわかるでしょう。
永遠に失ったものの正体が、明るくなった自分の目に見えてきたとき、ようやく、本当の後悔が始まるのです。