高ひばり 春の栄えを たたへつつ あをぞらに溶く なきがごとくに
*残念ながら、今わたしたちが住むこの町では、春のひばりの声を聞くことができません。住宅が多く、海が近いからでしょう。
だがかのじょが幼い頃住んでいたところでは、よくひばりの声を聞くことができた。春の田んぼにはレンゲが咲く。その淡い春の美しい風景の中で、空が鳴いているかのようなひばりの声を聞いた。
あまりに高く飛んでいるので、その姿は空に溶けているかのように見えない。飛んでいるひばりの姿を認められることはほとんどない。だからまるで空が美しい声で鳴いているかのようにさえ思えた。
だがひばりは確かにいるのだ。この青空の中のどこかにいて、空の代わりに鳴いている。人間がまだ知らぬ高い愛が、人間に何を語りたいのかを、知っているかのように。
だから人間は、ひばりの声を聞くと、ひきこまれるように耳をすましてしまうのかもしれない。だれかが自分に何かを教えようとしているかのようだと。
ひばり自身は何も知るまい。知らないうちに、鳥は自分自身を神にささげているのだ。神の中に溶けて、自分がないかのようになっている。そして高みを飛びながら鳴いている。その声がどれだけ、時に苦しい世の中ですさんでいく人の心を、明るみに導いているかも知るまい。
自分を高い愛にささげるということが、どんな幸福であるかということを知っている者は、春のひばりの声に、神のほほえみを感じるのだ。
そしてこの世が、どのように繊細微妙で偉大な愛で作り上げられているかを知る。
人間が生きることを助けるために、神がどのようなことをしてくださっているのかがわかる。
わたしたちはあまりにも深すぎる愛につつまれている。