あざむきの くぼみに苦き 乳を汲み さかき目をする 子にかへされぬ
*これは、インスタグラムでの活動の中で詠まれた歌ですね。ご存じの通り、インスタグラムでは、心を惹かれた作品に、歌を送ることにしています。
表だっての反応は少ないが、送ってさしあげた人たちにはかなりよろこばれているようだ。ですが中にはこのように、少々きつい歌もあります。
これは確か、ある陶芸家の作品に送った歌でした。白くてそっけない形の小さな器がいくつか並んでいた。昨今流行りの、シンプルで品のよい感じの作品ですが、何か痛いものが染みついていた。
はっきりとは言いにくいですが、盗作に近い匂いがしたのです。
ですから表題のような歌を詠ってみたのですが。詠われた人には、なんとなく伝わったのではないかな。
あざむきの香りのするくぼみのある器に、苦い味のする乳を入れて進めてみたら、賢そうな目をしている子供に、こんなのいらないと言って返された。
子供というのはあなどれません。痛いところで大人のしていることを見ている。そしてかなりきついところを見抜いていたりする。
見くびっていると、時に痛い一撃を食らったりする。
嘘をついていても、いずれだれかに見抜かれてしまいますよ。いえ、もうだれかに見抜かれているかもしれませんよ。
いずれ苦いことになりきる。
もう嘘は通用しなくなる。なんのために馬鹿がそれをしているのかを、人間はもう知っている。
自分がつらいのだ。嘘でなければすべてに勝てないと思っているのだ。だからあらゆる姑息な方法を使って、自分をいいものにしようとする。彼は自分を立てるために、どうやら人ひとりをつぶしているようだ。
しかし本当の人間は、馬鹿な人間につぶされても、見くびっていたらいつの間にかどこかでまたよみがえってくる。
自分の嘘のために利用していたものが、新たなものとしてまた芽生えてくる。
そのときにどうするつもりなのか。