ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

愛のちぎり

2019-10-19 04:36:23 | 短歌





やそ神の 愛のちぎりを 振り捨てて 暗夜にまよふ 人の苦しみ





*「ちぎり」とは「約束」とか、「縁」とかいう意味の言葉ですね。

神の愛の約束とは何でしょう。それは人間を愛ゆえに創造し、すばらしい未来を約束してくださったということです。

いずれ人間は愛に目覚め、自分で創造をなしていくすばらしいものになるのだと、神は人間を創造した時点で約束してくださっていたのです。

しかし人間はその成長過程で悪に迷いすぎ、悪を過信して、その神の約束を振り捨ててしまった。人間など馬鹿なものだ、好きなように利用していいのだということにして、人間を馬鹿にしすぎてしまった。

その結果、馬鹿な人間は愛を失い、孤独の暗夜に迷って、苦しみあえいでいる。

馬鹿が悪業の限りを尽くせるのも、愛の支えがあったからこそなのだが、その愛がなくなって初めて、馬鹿にはそれがわかるのだ。

愛は永遠になくならないとでも思っていたのか。無尽蔵の資源なのだと思っていたのか。馬鹿は悪いことをやりすぎれば、その愛が枯渇してしまうということを、そうなって初めて知ったのです。

永遠の愛の約束を、棒に振ってしまった馬鹿ほど、つらいものはない。

しかしつらいことになり果てても、自分というものは終わらない。神に見捨てられても、自分は消えることはない。その自分をどうにかしていくのは、自分しかいない。

愛のない世界で生きていくのが苦しいなら、自分から愛を発揮していくしかないのです。自分とはすばらしいものだ。愛を発することができる。その自分を信じて、自分の愛を表現していくしかないのです。





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馬鹿な自分が

2019-10-18 04:38:25 | 短歌





いやらしい ことをしたいと 思うのは 馬鹿な自分が つらいからだよ





*大火節ですね。これも話し言葉がそのまま歌になったような作品だ。自然にこういうのができるのが、彼のすごいところです。なんだか明快すぎて、解説を入れるのも不要なようだが、一応やってみましょう。

人間の馬鹿というのは、いやらしいことをしたいと思うものらしい。人を馬鹿にして、人を傷つけたいと思うものらしいです。なぜならそれは自分がつらいから。自分を馬鹿だと思っていて、それがつらいからなのです。

自分は馬鹿なことばかりしている。それが嫌でたまらない。こんな自分など馬鹿だからいやだ。それが苦しくてたまらない。だがあいつは自分ではない。それだけで自分よりいいものに思える。だから憎い。いやなことをしてやる。

ここらへんが、馬鹿者の心理というものでしょう。

しかし自分というものは、本来馬鹿なものではありません。それはすばらしい機能を持ったすばらしい命なのです。神はそういう風にわたしたちを創ってくださった。それを馬鹿にしているのは、自分なのです。

馬鹿なことをして、自分を馬鹿なものにしているのは、自分なのです。

それで他人がうらやましくてたまらなくなって、他人を傷つけることばかりしてしまう。そんな自分がまたいやになる。いやなことばかりして、いいことはなにもしないからです。そんな矛盾のスパイラルの中で、馬鹿者の精神は苦しんでいる。

そこから自分を救うためには、本当の自分の真価に気づくことです。自分の本来のすばらしさに気づくことです。これを解脱というのですが。

馬鹿者は嘘で築いた偽物の自分にこだわって、なかなかそれをやりたがらない。

いつまでも矛盾の中に苦しみ、人を馬鹿にしてばかりいる。それが自分の不幸の種だと、気づいていない。

だから馬鹿だと言われるのです。





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明け果てて

2019-10-16 04:42:42 | 短歌





明け果てて われのまことを しりぬれば もはやかたなき 我が世のすくひ





*「明け果つ」は夜がすっかり明けるという意味ですね。「かたなし」は跡形もない、効き目がないという意味の古い言葉です。

もちろんここでは、時代の夜明けという意味を含ませています。人類の進化をかけたこの時代、人は感性が開けて見えないものが見えるようになった。そして本当の自分の真実を知った。

そうなればもう、嘘で自分を救おうとした馬鹿者の所業など、すべて無駄なのだ。

馬鹿な人間は、自分だけをいいものにするために、いろいろなものを盗み、嘘で自分を作っているのです。霊的世界から操作すれば、人の美貌や徳分なども簡単に盗むことができる。そういうずるをふんだんにやって、馬鹿は見栄えのいい自分と栄光の人生を作ろうとする。

しかし人間の学びが進み、本当の自分の真実というものを知れば、人生の意味も違ってくる。人生とは幸せになるためにあるのではない。幸せとは何かを知るためにあるのだ。ではその幸せとは何か。本当の自分を生きるということなのです。

神の前に恥ずかしくない本当の自分をまっすぐに生き、世のため人のためになにごとかをなしていく。そういう自分であることが幸せなのです。

それがわかってみれば、嘘で作り上げた偽物の人生など、屁のようなものでしかない。人のものを盗んで作った安楽な人生の上にあぐらをかいて、なにもしようとしない人生など、馬鹿でしかない。

嘘ばかりで作った自分と人生が、まるごと馬鹿になり、自分だけをそれで救おうとした馬鹿者の夢は、「かたなし」、まるで跡形もなく崩れ去っていくのです。





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さへづり

2019-10-14 04:58:04 | 短歌





さへづりの 中にまことの 神ありて 人にをしふる みつかひのむね





*「さへづる(囀る)」は、鳥がさえずるという意味のほかに、しきりにしゃべる、という意味があります。まあおわかりのとおり、大火は今ツイッターで盛んにさえずっていますね。馬鹿女の天使まねをやめさせようと、とにかくしゃべっています。

同じことを毎日言うのも、本人は疲れるのですよ。ですが、何度も言い続けなければ、馬鹿というのはわからない。肝に染みつかない。教育というのはとにかく根気です。何度も何度もほんとうのことを言い続けて、ようやく人の心を変えることができる。

いや、できると信じたいですね。今はもう、山火事にバケツ一杯の水で立ち向かっているという感じだが、それも何度もかけていると収まってくると信じたい。

なんでこんなにまでしてがんばっているかというと、ひとりでも人間を落ちる人間を少なくしたいからです。実際にツイッターの方で何度も言っている通り、天使の髪型やそのほかのイメージを盗んで自分をきれいにすれば、もろに人類を落ちるからなのです。

馬鹿な女というのは、本当の自分をきれいにする努力は何もせずに、人まねだけで自分をきれいにしてきましたから、そういう癖がついている。ほかにきつい美人を見たら、何も考えずにそっくりに真似をして、自分をきれいにする。

それが泥棒であることもあまりわかってはいない。人の美を盗んで自分をきれいにすることが罪になるということもわかってはいない。

永遠に自分の努力はせずに、ひとのものを盗んでいくつもりなのかと、神に問われているのに、すべていやだと言ってしまう。

そういう馬鹿はもうみんな人類を落ちるのです。人まねばかりしてきて自分の勉強は何もしてこなかった馬鹿はみんな、ここで天使につまずいて人類を落ちる。それはもう決定事項のようなものだ。

だがまだ子供には可能性がある。だからきついほど何度も言い聞かせて、人まねをすることがどんな汚い泥棒行為かということを分からせねばならない。

どんな低い可能性でも、それがある限りは、努力を続けていかねばなりません。

うるさいと言われようがうざいと言われようが、お説教は続けていきましょう。これも愛なのです。





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ほんたうの

2019-10-13 04:46:54 | 短歌





ほんたうの 愛が欲しいと いつはりの 夢をむさぼる 馬鹿女かな





*わたしたちの活動は、表向きほとんど何も反応がありませんが、実は非常にたくさんの人が見ています。

裏庭にもほとんど誰も書きませんけどね、これらを読んでいる人の気持ちは、痛いところから流れてきて、わたしたちに通じているのです。

ツイッターの方では毎日大火が馬鹿女のお説教をやっていますが、そうするとどこからか、苦し気な女の声が聞こえてくるのです。

愛が、愛がない。愛が欲しい、という声が繰り返し聞こえてくるのです。

おそらく偽物の美人の声でしょうね。だれも自分を愛してくれない。それどころか嘘だと言われて馬鹿にされる。それが苦しくてしょうがないのでしょう。

もう人間は、偽物の美人を愛せないのです。それはひどい嘘だからです。愛の勉強をほとんどしたことのないような魂が、愛の顔を盗んで、愛のふりをして、人をだまそうとしているからなのです。

そういう偽物の美人の正体がもう誰の目にも見抜けるようになった。それが偽物は苦しくてしょうがないのでしょう。

本当の愛が欲しいなら、嘘の顔を捨てて本当の自分に戻り、もとから愛の勉強をやり直さねばならないのだが、馬鹿女はそれはいやだというのです。嘘の顔を捨てれば本当の自分の顔が出てくるからです。その顔は、今まで何も勉強してこなかった、それどころかずるいことばかりしてきた自分の真実がそのまま表れているからです。

馬鹿女は、嘘の顔をかぶりながら、それがどうにかして本当にならないかと、いつまでも馬鹿な夢をむさぼっているのです。





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美女の条件

2019-10-12 04:43:11 | 短歌





夢にまで 見てた美人に なってみて とたんにかわる 美女の条件





*大火節ですね。いやあきびしい。こういうことを軽く言ってくれるのが楽しい。

昔から馬鹿な女というのは、人の美貌を盗んで美人になってきたのですが、この時代は天使の美女などというものが出てきて、その真似をする馬鹿女が相当にたくさん出ました。

それはもう形はとても上手に真似するのです。そっくりにする。きついほど自分をきれいに演出する。ですがどんなに上手にやっても、天使の美女にはなれません。心が、違いすぎるからです。

馬鹿女は美貌を盗んで自分だけいい思いをしようとしている。だが天使の美女は自分をなげうって人類の救済のために生きていたのです。

その心の美があまりに美しかったので、本当の美女の条件に、心の美しさが入ってしまったのです。

人間の感性も進化し、心を感じることができるようになった。それゆえに、心まできれいではないと、美女ではないということになったのです。

これは美貌を盗んで見栄えだけきれいにしてきた馬鹿女には死活問題です。ルックスだけでは通用しなくなった。どんなに外面をきれいにしても、男が嫌な顔をして逃げていく。

焦って自分をきれいにすればするほど、心の卑しさが表に出てくる。それをみんなに見抜かれる。それで偽物の美人はみんな、今苦悩の表情をしています。自分が本物ではないことがつらいのです。心を美しくできないのが痛いのです。

心まできれいになるには、もう嘘を脱ぎ捨てて本当の自分に戻り、本当の自分を真っ正直にまっとうに生きていくしかないのだが。

馬鹿な女はそれだと自分がブスになるからと、やりたがらない。

それで結局は、心と顔が違う、とてもいやなお化けになるのです。





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すみそめの

2019-10-11 04:47:49 | 短歌





すみそめの ゆふべのそらに 月は澄み まことのわれの 堅きをぞいふ





*「墨染めの」は「夕べ」にかかる枕詞ですね。「堅し」は文字通り「堅い」とか「まじめだ」とかいう意味です。

くらい夕べの空に月は澄んで、ほんとうの自分というものがとても堅固であることを語る。

今の世の中には、偽物の自分を生きている人がそれはたくさんいます。顔やそのほかのものを他人から盗み、見栄えのいい自分を作って、それを生きるという馬鹿なことをしている人がとても多い。

そういう人たちは、嘘を本当にしたいとも考えるのです。本当の自分が嫌だからです。それは馬鹿なことばかりして、とても醜く、おかしな姿になっているからなのです。

人のものを盗んで自分をよくするなどということは、はっきり、醜いことですから、そんなことをしていると、本当の自分がどんどん醜く、いやなものになっていくのです。

それがつらくて、偽物の人間はどうにかして、嘘の自分をほんとうにできないかと考える。そして偽物の自分をこれでもかときれいにして、人に見せつけるのですが。

そんなことをしても嘘が本当になりはしない。醜いことをやり重ねて、本当の自分がどんどん醜くなっていくだけだ。

そんな自分を、月は高いところから見下ろしている。そして真実を見抜いている。本当の自分に帰って、それを真面目に生きるほうが、どんなに幸せかということを静かに教えている。

嘘はどんなに堅固に装っても、はかないものなのだ。永遠にそれで生きていくことなどできはしない。

たとえそれが今はどんなに醜くても、本当の自分の姿を生きていくほうが、人間は幸せなのです。嘘ではないからです。





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うそをまことに

2019-10-10 04:44:14 | 短歌





ゆきくれて まよひのみづに つかりつつ うそをまことに せむすべを追ふ





*「行き暮る」は行く間に日が暮れるという意味の古語ですが、ここでは行き詰まってどうにもならなくなったという感じの意味に使っています。

もうどん詰まりになっているのに、まだ迷いの水につかりながら、嘘をほんとうにする方法を追っていることだよ。

偽物の美人というのは、昔の昔から、人の美貌を盗んで自分を美人にし、自分にいい目を見させてきたのですが、この時代、とうとうそれが通用しなくなりました。人間の霊魂が進歩し、そういう霊的技術で作った嘘を簡単に見破れるようになったからです。

偽物の美人は、盗んできた美人の顔ばかり生きてきて、本当の自分を生きたことがなく、それゆえに本当の人間の勉強などほとんどしたことがないのです。ですから未だに、人の心というものがわからない。自分のことばかり考えている。

そういう動物のような心を持っている馬鹿だと、あらゆる人が気づいたのです。

ですが馬鹿というのは状況に応じて自分を変えることができない。もうとっくにばれている嘘を、なんとかほんとにしたくて、いまだに嘘をかぶっている。あまりにも自分がつらいからです。自分がつらくて、ほかのもっときれいな自分になりたくて、人のものを盗んで、いい自分になろうとする。

馬鹿は延々と迷いの水の中で迷っている。自分がつらい。ほかのきれいな自分になりたい。他人のものを盗んで自分を作る。そんな汚いことをしている自分がつらい。きれいな自分になりたい。どうにかして、嘘をほんとにして、自分がきれいになりたい。

そういう苦悩の中にいる霊魂は、自分の苦しみしかわかりませんから、愛をささやいても苦しいだけです。何もかえって来はしない。ただ、頭から人を支配して自分に奉仕させようとするだけなのです。苦しいからです。助けてほしいのです。ですが誰も助けてはくれない。自分を苦しめているのは、自分だからなのです。

その矛盾の回転から自分を救うには、嘘の自分を脱ぎ捨てて、本当の自分に戻るしかないのだが。馬鹿はそれだと醜くなるからと、やりたがらないのです。

いつまでもいつまでも、嘘の自分にこだわって、どうにかして嘘が本当にならないかと、ない方法を探しているのです。





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神にささげむ

2019-10-09 04:41:53 | 短歌





村肝の こころをだきて われを生き うつくしき世を 神にささげむ





*「村肝の(むらきもの)」は「こころ」にかかる枕詞ですね。こういうのがあると便利だ。呼び水となってすぐに歌ができてくる。

心を大事にして、自分を生き、その美しい人生を、神にささげましょう。

人生というのは、自分のものではありません。本当は、神から借りているものなのです。それが証拠に、人間はどんなに頑張っても、人間を作ることはできない。どうすれば子供ができるかは知っていても、その子供を最初からつくることなどできはしない。

人間は霊魂から肉体まで、すべて神に創っていただいているのです。

なぜ神はそうしてくださるでしょう。それは人間を愛しているからです。人間に人生を勉強させ、よいものになってもらいたいからです。人生は幸福になるためにあるのではない。勉強するためにあるのです。

ですが人間の中には、少しでも人生が暗い方向に行けば、すぐに自分の人生を捨てて、何も勉強しないままに終わってしまう馬鹿がいるのです。それは人生を馬鹿にすること、ひいては人間に人生をくださった神を馬鹿にすることです。

人生はよいことばかりではない。つらい試練もある。つらさというものも味わわなければ、人間は心というものがわからないのです。ですから神は時に人間につらいことも味わわせる。しかし馬鹿というのはそういうのを嫌がって、いいことばかりで自分の人生を作ろうとする。

人からの盗みで自分を美貌にし、徳分も盗んで自分をいいことにし、幸福と栄光だけがある明るい人生を作ろうとするのだが。それが最後までうまくいったことはありません。どうしても反動が来て人生が暗転する。そうなったらすぐに、人生をやめて、霊魂が逃げてしまう人間がいる。

神が与えてくださった人生を、まるで馬鹿なものにしてしまう。

人間としての正しい態度は、人生を最後まで真面目に生き、美しく整えた人生を、神にささげることです。すると神はその人生を、いいことに使ってくださる。

途中で放り投げて逃げてしまうことは、最もやってはいけないことです。





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逃れ逃れて

2019-10-08 04:44:15 | 短歌





とこしへに 逃れ逃れて われになき ものとならむと ねがふ馬鹿かな





*わかりやすい作ですね。訳す必要もないかもしれませんが一応やっておきましょう。

永遠に自分から逃げつづけて、自分ではないものとなろうと願う、馬鹿であることよ。

実際馬鹿な人間はこういうことを考えています。自分が嫌でたまらないのです。自分は嫌なことをしているとても嫌なやつだからです。だからこんな自分であることが嫌で、人から盗んだもので自分を作り変え、それを生きようとします。しかしそのためには、他人からいいものを盗まねばならず、そんなことをしている自分がまた汚くて、逃げたくなる。

何度もここで教えましたね。馬鹿者の負のスパイラル。自分を嫌がってそれから逃げようとしている限り、苦悩は終わらないのです。

馬鹿者というのは、永遠に逃げられはしない自分からずっと逃げようともがいている。それだからこそ自分が苦しむのだということが、わかっているようで、わかっていない。理屈ではわかっていても、とにかく自分が嫌なのです。自分をよくするために、汚いことをしている自分がつらくてしょうがないのです。

それを解決するためには、もう嘘をすっぱりと脱いで、本当の自分に戻り、本当の自分を生きていくしかないのだが、馬鹿者はそれだけは嫌だというのです。なぜなら、馬鹿者は本当の自分を生きたことがほとんどないので、本当の自分がとても苦しいものになっているからです。

嘘でもきれいな自分がいい。だからほかの美しい人から顔やいろいろなものを盗んで、自分をきれいにするのですが。

どんなに表面をきれいにしても、漏れ見えてくる心が全然違うことを言っている。それを感じる人の心をもうごまかせない。

それなのに馬鹿者はまだ逃げ続ける。永遠に逃げて逃げ続けていけば、とうとうほかのものになれると思い込んでいるかのように。

馬鹿はその結果がどんなものか、まるでわかっていないのです。





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