秩父の山中・・・太田部・・・楢尾・・・
18年の歳月をかけて撮ったNHKテレビドキュメンタリー「ムツばあさんの花のあとさき」が映画化されました。
公開は5月・・・
クリック☞公式サイト「花のあとさき ムツばあさんの歩いた道」・・予告編が見られます。
語り 長谷川勝彦、監督:撮影 百﨑満晴、プロデューサー 伊藤 純 制作:著作ーNHK 制作ーNHKエンタプライズ、配給 新日本映画社
まだ見ていませんが・・・美しい日本を愛するものとして・・・埼玉や秩父を愛するものとして・・・ぜひ見ていただきたい映画です。
★2019年7月118日のblogです。
7月15日、NHKテレビPM1:20~3:50放映・・・ドキュメント「秩父山中 花のあとさき・最終章~ムツばあさんの歳月~」を見てました。録画もしました。
秩父の山中奥深く荒川流域から分水嶺を越えて利根川流域に入ったかつての秩父郡太田部村(現秩父市吉田太田部)の楢尾集落で生きて土に還っていった小林ムツさんのありし日を2002年からテレビカメラで追ったドキュメント・・・
過疎化していく山奥の集落の老夫婦、年を重ね山の段畑も手入れができなくなっていきます。残された時間・・・花の咲く木、実の生る木、紅葉のキレイな木を段々畑に植えていきます。
「これまでお世話になった畑が荒れ果てていくのは申しわけない。せめて花の咲く木を植えて山にお返ししたい」
「自分たちはイノシシの食べる実のなる木を切って炭を焼いたり畑にしたりして、その跡地を実の生らない杉の木を植えたりして山の動物の食料を奪ってきた。今度は山を自然に返すときだ」
2002年放送が開始される前の10年間で10000本の木の苗を植えてきたそうです。
《参考》
★番組スタッフの百崎満晴さん(現NHK仙台放送局)は・・・カメラマンからの提案企画ではじまったミニ番組、カメラマン&ディレクター&インタビュアーの一人三役+音声さん、2002年から2019年までカメラマン人生の大半を費やすことになったと語っています。
☆ブログ メディガ「ムツばあさんと秩父山中の場所はどこ?BSプレミュアムドキュメントまとめ」
2010年訪れた秩父山中の風景です。
過疎、限界集落・・・行政がいいだしたのかマスコミがいいだしたのか知りませんが現実はそうであってもこの言葉は嫌いです。使わないようにしています。
「山の民」というほうがまだ優しいですね。太古のむかしは山幸彦といったのです。
日本の森林を育て水源を涵養し国土を守ってきた「山の民」はどこに行くのでしょう。
太田部楢尾のムツばあさん・・・おだやかないい顔していました。日本中の山の中、農村、海辺にムツばあさんのような人がいたでしょうね。わたしのおふくろも家内の母もおなじように田舎の片隅で野菜を作ったり花を植えたりして、やがて土に還っていきました。
★映画化のことを教えてくれた☞BROOKさんのblogです。
★「縄文人」さんの映画紹介blog☞後を継ぐものは居ない、畑に花を植えて山に返すだがねぇ=ムツ婆さんの花植え物語=
18年の歳月をかけて撮ったNHKテレビドキュメンタリー「ムツばあさんの花のあとさき」が映画化されました。
公開は5月・・・
クリック☞公式サイト「花のあとさき ムツばあさんの歩いた道」・・予告編が見られます。
語り 長谷川勝彦、監督:撮影 百﨑満晴、プロデューサー 伊藤 純 制作:著作ーNHK 制作ーNHKエンタプライズ、配給 新日本映画社
まだ見ていませんが・・・美しい日本を愛するものとして・・・埼玉や秩父を愛するものとして・・・ぜひ見ていただきたい映画です。
★2019年7月118日のblogです。
7月15日、NHKテレビPM1:20~3:50放映・・・ドキュメント「秩父山中 花のあとさき・最終章~ムツばあさんの歳月~」を見てました。録画もしました。
秩父の山中奥深く荒川流域から分水嶺を越えて利根川流域に入ったかつての秩父郡太田部村(現秩父市吉田太田部)の楢尾集落で生きて土に還っていった小林ムツさんのありし日を2002年からテレビカメラで追ったドキュメント・・・
2002年8月「ムツ婆さんの花物語 秩父山中・段々畑の日々」
2007年12月「秩父山中 花のあとさき ムツばあさんのいない秋」
2009年春 「秩父山中 花のあとさき ムツばあさんのいない春」
そのの3部作の集大成が・・・
2019年5月「秩父山中 花のあとさき・最終章~ムツばあさんの歳月~」です。
テレビレンズに写るムツばあさん・・・可愛い・・・
2007年12月「秩父山中 花のあとさき ムツばあさんのいない秋」
2009年春 「秩父山中 花のあとさき ムツばあさんのいない春」
そのの3部作の集大成が・・・
2019年5月「秩父山中 花のあとさき・最終章~ムツばあさんの歳月~」です。
テレビレンズに写るムツばあさん・・・可愛い・・・
過疎化していく山奥の集落の老夫婦、年を重ね山の段畑も手入れができなくなっていきます。残された時間・・・花の咲く木、実の生る木、紅葉のキレイな木を段々畑に植えていきます。
「これまでお世話になった畑が荒れ果てていくのは申しわけない。せめて花の咲く木を植えて山にお返ししたい」
「自分たちはイノシシの食べる実のなる木を切って炭を焼いたり畑にしたりして、その跡地を実の生らない杉の木を植えたりして山の動物の食料を奪ってきた。今度は山を自然に返すときだ」
2002年放送が開始される前の10年間で10000本の木の苗を植えてきたそうです。
《参考》
★番組スタッフの百崎満晴さん(現NHK仙台放送局)は・・・カメラマンからの提案企画ではじまったミニ番組、カメラマン&ディレクター&インタビュアーの一人三役+音声さん、2002年から2019年までカメラマン人生の大半を費やすことになったと語っています。
☆ブログ メディガ「ムツばあさんと秩父山中の場所はどこ?BSプレミュアムドキュメントまとめ」
2010年訪れた秩父山中の風景です。
秩父市吉田石間(いさま)沢戸集落(標高約500m)・・・この集落の上の半納集落からの眺望です。
急峻な山肌に集落が・・・さらに登って行くと太田部峠に。
太田部峠(標高約750m)から東に向かうと城峰山と太田部集落との分岐点。
秩父市吉田太田部字久保田集落に今は就学児童がいなくなったため廃校になった旧太田部小学校が(標高450m)。
秩父市吉田太田部字相見集落・・・江戸時代前の慶長年代から続いた旧庄屋さんの家。いまはコミュニティーセンターに。
急峻な山肌に集落が・・・さらに登って行くと太田部峠に。
太田部峠(標高約750m)から東に向かうと城峰山と太田部集落との分岐点。
秩父市吉田太田部字久保田集落に今は就学児童がいなくなったため廃校になった旧太田部小学校が(標高450m)。
いまから100年前に起こった農民たちの自由民権運動「秩父困民党事件」の跡を追って2010年秩父巡礼の旅、秩父吉田の秩父事件蜂起の原点「椋神社」を尋ね、そして下吉田石間、太田部へ。ムツばあさんが生きてそして土に還っていった村です。楢尾集落のムツばあさんの家はすでに主なく、旧太田部小学校あたりを逍遥。
旧太田部小学校の庭で会った秩父大滝村から来たという熟年夫婦、ご主人から秩父の山の民の生活についていろいろお話しを聞きました。
山の民は食べるものは麦、蕎麦、稗、粟などの雑穀類、米は買わなければ食べられません。畑は家の周りにはほとんど無く傾斜の緩い山の中腹より上の稜線近く。そこに桑や雑穀を植えていたそうです。明治以来税金は金納になりました。雑穀の収穫は食べるのに精一杯ですから現金収入が必要、養蚕、生糸、薪炭、楮から紙漉き、蒟蒻、干し柿、林業、出稼ぎなどが命の綱でした。そのどれもがいまの経済下では通用しません。むかしの桑畑もいまは杉林に代わったといいます。
7つの集落からなる太田部。世帯数、人口を調べましたがネットではわかりませんでした。郵便物は吉田から、医療は鬼石方面だそうです。
旧太田部小学校の庭で会った秩父大滝村から来たという熟年夫婦、ご主人から秩父の山の民の生活についていろいろお話しを聞きました。
山の民は食べるものは麦、蕎麦、稗、粟などの雑穀類、米は買わなければ食べられません。畑は家の周りにはほとんど無く傾斜の緩い山の中腹より上の稜線近く。そこに桑や雑穀を植えていたそうです。明治以来税金は金納になりました。雑穀の収穫は食べるのに精一杯ですから現金収入が必要、養蚕、生糸、薪炭、楮から紙漉き、蒟蒻、干し柿、林業、出稼ぎなどが命の綱でした。そのどれもがいまの経済下では通用しません。むかしの桑畑もいまは杉林に代わったといいます。
7つの集落からなる太田部。世帯数、人口を調べましたがネットではわかりませんでした。郵便物は吉田から、医療は鬼石方面だそうです。
秩父市吉田太田部字相見集落・・・江戸時代前の慶長年代から続いた旧庄屋さんの家。いまはコミュニティーセンターに。
太田部集落から群馬県との県境の神流川に架かる太田部橋を渡ると群馬県鬼石町(藤岡市)です。神流川を堰きとめた下久保ダム湖(神流湖)は渇水期でしょうか。ほとんど水がありません。堆砂も進行してるようです。右側の谷を分け入ったあたりがムツばあさんが生きた太田部楢尾です。
※撮影日は2010年10月。
秩父路や 天につらなる 蕎麦の花 加藤楸邨
過疎、限界集落・・・行政がいいだしたのかマスコミがいいだしたのか知りませんが現実はそうであってもこの言葉は嫌いです。使わないようにしています。
「山の民」というほうがまだ優しいですね。太古のむかしは山幸彦といったのです。
日本の森林を育て水源を涵養し国土を守ってきた「山の民」はどこに行くのでしょう。
太田部楢尾のムツばあさん・・・おだやかないい顔していました。日本中の山の中、農村、海辺にムツばあさんのような人がいたでしょうね。わたしのおふくろも家内の母もおなじように田舎の片隅で野菜を作ったり花を植えたりして、やがて土に還っていきました。
★映画化のことを教えてくれた☞BROOKさんのblogです。
★「縄文人」さんの映画紹介blog☞後を継ぐものは居ない、畑に花を植えて山に返すだがねぇ=ムツ婆さんの花植え物語=
※※コメント欄オープン
折に触れて5月封切り公開までに、宣伝していこうと思います。
瀬戸内晴美さんは声をあげて泣いたそうです。
人は食べるために森を焼いて山を崩して畑にしてきた・・・いま畑に草を植え実のなる木を植え山の動物たちに山を返してやる準備をしてやろう・・・自然に対する畏敬の念8リスペクト)を持った人でした。山の人の知恵ですね。
縄文さんが子供のころ植林に行った山々の向こう側の山のの人です。
映画、ぜひ見てみたい。
宣伝、大いにしてください。
秩父は自然が美しい、人も美しい。
瀬戸内晴美さんは声をあげて泣いたそうです。
コメントありがとうございました。
悔やまれる…。
そして、ついに映画化ということで、おそらくはテレビ放送を再編集して112分に纏めているのだと思いますが、それでも非常に観たいところです。
今のところ、東京の1館のみとなっていますが、埼玉県のシネコンでも上映して欲しいですね。
縄文人もスタンバイの為に、
ムツ婆さんの、ビデオ何回見直しました。
・ 人間の一生なんて儚い。もう歳だから、このまま畑をやっていたらこっちがマイッチャウさ~…。
・ 花を畑に植えて、山に返していくだサァ~・・・
印象的な言葉です。
私自身に置き換えてみれば、
あなたはどうして東京に出て来たのかねぇ~…≪秩父には美しい景色が一杯あるのに・・・・・≫と上京時に、友人から聞かれた。
即座に「景色じゃぁ…オマンマ食えないででよう…」と答えた。
ムツ婆さんが、若者はみんな町へ行っちゃうだ、そんな言葉にも答えたような返事でした。
縄文人も2~3日のうちに、
公式サイト「花のあとさき ムツばあさんの歩いた道」・・纏わる記事UPします。
筆者、DB紹介有難うございました。
追伸
数日前に、比企野さんのカテゴリー
「道行く秩父路」を見させてもらいました。
感想は良く隅々までバッチリ!!
そんな感想の一言です。
、
見る度にその美しい生き方に感動しました。
映画、是非見たいです!