10月12日の大型台風19号・・・この地区は瞬間風速最大12m、降雨量/h最大23㎜ぐらい、テレビのDボタンでわが村の気象状況を刻々と見ながら夜を過ごしました。さいわいわが住宅地には被害がなかったものの町の南西を流れる越辺川周辺では町の避難指定地に避難した人たちもいました。越辺川に流れ込む小さな支流で増水があり水の様子を見に行ったかたが事故にあわれたと聞いています。
完全な木の橋に見えますが桁行だけH鋼が使われているようです。国道407号線高坂橋から600m下流、高坂橋がいつ完成したのかわかりませんが、完成するまではこの橋が使われていたのでしょう。時代劇のロケーションによく使われましたが、実際はむかしは橋などなく、大正時代までは「島田の渡し」だったそうです。
ここは日光街道(八王子千人同心街道とも)、川越・松山を結ぶ往還道(片柳街道)など・・・交通の要衝。石井下宿、橋を渡ると西元宿という地名が残っています。
10月15日・・・台風一過の3日後、坂戸市島田地区と東松山市宮鼻地区をつなぐ越辺川島田冠水橋の様子を見に行ってきました。
越辺川右岸、島田地区の天端の上からの風景です。冠水橋は無事でした。増水は天端の数m下まで押し寄せたです。
冠水橋の上流側につけられた流木除け、流れてきた柳の枝が引っかかっています。
この地点から数㎞下流、越辺川と九十九川、都幾川の合流点(東松山市正代地区、早俣地区、あずま町・・・大規模商業施設)が大きな範囲で浸水しました。
坂戸市島田地区の堤防下・・・水神様、馬頭観音、庚申塔があります。
越辺川右岸、島田地区の天端の上からの風景です。冠水橋は無事でした。増水は天端の数m下まで押し寄せたです。
冠水橋の上流側につけられた流木除け、流れてきた柳の枝が引っかかっています。
この地点から数㎞下流、越辺川と九十九川、都幾川の合流点(東松山市正代地区、早俣地区、あずま町・・・大規模商業施設)が大きな範囲で浸水しました。
坂戸市島田地区の堤防下・・・水神様、馬頭観音、庚申塔があります。
※撮影日は2019年10月15日。
《参考》2014年6月の長雨で破壊された島田冠水橋。
※撮影日は2014年6月16日。
★島田冠水橋・・・全長77m、巾2.6m、車幅1.8mまで可、車重制限1.5t。完全な木の橋に見えますが桁行だけH鋼が使われているようです。国道407号線高坂橋から600m下流、高坂橋がいつ完成したのかわかりませんが、完成するまではこの橋が使われていたのでしょう。時代劇のロケーションによく使われましたが、実際はむかしは橋などなく、大正時代までは「島田の渡し」だったそうです。
ここは日光街道(八王子千人同心街道とも)、川越・松山を結ぶ往還道(片柳街道)など・・・交通の要衝。石井下宿、橋を渡ると西元宿という地名が残っています。
※コメント欄オープン。
丸太か熱い板切れ、片側鎖で繋いで、大水が出れば片側は流れるが鎖で繋いでいるから大丈夫。水が引いたらまた乗っける。あ安上がりです。大切な交通設備でした。
冠水橋を見ると日本の田舎の原点が見えるような気がします。
先日、秩父散策しました、後日にブログ報告します。
これを小型化した橋、簡単に言うと、太い丸太を鋸で半分に割く。またそのまま使いました。
これが橋になりました。いわゆる丸太橋。
流されないように鋼鉄製のロープで両岸に縛り付けて置きました。
荒川上流、山間地に行くとあっちこっちに有りました。
我自身懐かしくなりコメントしました。
https://blog.goo.ne.jp/nishinotani/e/de5c7b6cb1754a29040ac0bf306c18b9
、
江戸時代からこの辺りは荒川が増水すれば遊水地になるように設計された土地でした。そうやって大都市江戸を増水被害から守っていたのです。
それにしても私の記憶の外の水害です。
コメントありがとうございました。
聞いた話では、この越辺川沿いにある大型ショッピングセンター群が川の氾濫によって、建屋が冠水したとのことです。
大型ショッピングセンターの1階部分まで冠水したと伺っています。越辺川はのどかな田園地帯などを流れるいい川ですが・・。驚いています。