・・・彩風人の写真帳・・・
雪の棲み処・・・ヒマラヤ夢幻・・・ヒマラヤ・・・サンスクリット語で[雪の棲み処]
ネパールの首都カトマンドゥから西へ200㎞、ポカラ。人口264000人、ペワ湖の畔、標高827m、ネパール第二の都市に。
ポカラ郊外、西北に16㎞、標高1592m、ダウラギリ、アンナプルナ、マナスルなど8000m級の山々を望む大展望台サランコットの丘です。
サランコットの丘からマチャプチャレの右に見える・・・左からvアンナプルナⅣ峰、アンナプルナⅡ峰、 ラムジェヒマール峰。
アンナプルナⅣ峰(7525m)・・・
アンナプルナⅡ峰(7937m)・・・
ラムジェヒマール峰(標高?)・・・
世界7位の高峰・・・精霊の山・・・マナスル(8163m)です。
アンナプルナ山塊からさらに東の方向に小さく見える山・・・遠くて薄暮で光度不足で画像は不鮮明ですが・・・1956年日本山岳会の登山隊によって初登頂された「マナスル」です。
1956年といえば日本が戦争に負けてから11年目、敗戦後の復興半ばのころ、明るい話題で、若者の間で登山ブームが起こりました。マナスル登頂で使用されたナイロンザイル、ヴィムラㇺソールの登山靴なども画期的でしたが、何といっても登山の大衆化に貢献したのが・・・キャラバンシューズ・・・登山靴といえば超重量のオールレザーの鋲靴か・・・貧乏人は底の薄い運動靴か地下足袋の時代です。
日本山岳会の槙有恒会長は1951年マナスルの登頂計画にあたりヒマラヤ委員会委員長兼装具担当の佐藤久一郎さんにベースキャンプまでのアプローチ用シューズ(当時は登山靴といえば革製のアッパーと鉄の鋲を打った革製のソール)の開発を依頼します。佐藤さんは綿帆布のアッパー、ゴム製のソールの靴の開発に没頭、藤倉ゴム工業の共同開発で完成、1952年の第一次登山隊に提供、隊員たちの好評を得て、1954年隊員たちが呼んでいた愛称「キャラバンシューズ」の名で商品化。積雪期を除く日本の山に適応、安価であることから以来60年余、素材、防水、通気などの改良を重ね親しまれてきました。
わたしも地下足袋から藤倉キャラバンへ・・・GRANDKING CARAVANへと親しんできた一人です。
《参考》キャラバンシューズの歴史➡クリック
※撮影日は2019年12月31日。
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