比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

彩の国・・・深谷・・・血洗島の風景・・渋沢家

2007-05-04 | 古民家の風景
深谷の街を歩いてます。むかしの中山道の宿場町、市場町です。今は東芝、松下、サンウェーブ、古河などの工場が並ぶ工業都市であり、利根川、荒川に挟まれた沖積平野の農業生産地でもあります。「花フェスタ」会場で煮ぼうとうを食べ後は帰るだけですが、この土地が生んだ明治の巨人渋沢栄一の生家に立ち寄りました。

深谷市血洗島というブッソウな地籍です。地名の由来には恐ろしい話がありますが利根川の氾濫でたびたび地(血)が流された(洗われた)というのが正解のようです。

四本柱、切妻屋根の堂々たる正門です。建築様式では医薬門といいます。

1895年建造の主屋。典型的な養蚕農家の家です。奥行き5間、間口9間。切妻二階建て。屋根には養蚕用の煙出があります。屋号は「中の家(ナカンチ)」。名字帯刀を許された本百姓、村三役クラスの家です。明治の時代には養蚕、藍玉生産販売、雑貨商、質屋業を営んでました。


近代資本主義の父「渋沢栄一」と言っても知ってる人はほとんどいないでしょう。明治の時代、第一銀行の創設で知られ数々の会社設立にかかわった人です。東京証券取引所、日本レンガ、秩父セメント、帝国ホテル、日本郵船、東洋紡、王子製紙、東京ガス、東京火災海上、京阪電鉄、キリン、サッポロ、数え上げたらキリがありませんが今はキレイに渋沢の名前が消えてます。

私は渋沢栄一には興味は全くなかったのですが閑に任せて柳田國男、網野善彦、宮本常一の本を読んでいて、この人の孫の渋沢敬三という人に突き当たりました。終戦直後の日銀総裁、大蔵大臣を勤め、自分の会社「渋沢財閥」を含め三井、三菱などの財閥を解体した人です。
財閥解体と財産税でスッテンテンになった人ですが民俗学に造詣が深く私財を投じても研究者達に援助を惜しみませんでした。民俗学の父とも言うべき人です。

「渋沢家三代」(佐野真一・文春新書1998)
渋沢栄一の本についていろいろ読みました。どれもが業績を讃えた偉人伝です。ようやく「旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三」を読み、この本にたどり着きました。栄一の長男篤二の挫折、栄一の孫、敬三には叔父、叔母が20数人いたということなど、ありのままに記しています。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿