74年前の1965年8月6日未明、たった50kgの原子爆弾「リトルボーイ」を抱いてテニアン島を飛び立ったアメリカ軍の戦略爆撃機B29「エノラ・ゲイ」(命名は機長の母親の名前から)は8時15分17秒、広島市相生橋上空で「リトルボーイ」を投下しました。
たった1機・・たったウラン50kg弾1発(火薬弾15000㌧相当)・・被害者26万人。
東京大空襲では延べ344機、焼夷弾2000㌧、被害者10万人。
たった1機・・たったウラン50kg弾1発(火薬弾15000㌧相当)・・被害者26万人。
東京大空襲では延べ344機、焼夷弾2000㌧、被害者10万人。
あの日の広島は3000℃。
・・・黙祷・・・
・・・黙祷・・・
※写真は2009年7月、広島にて。
8月は祈りの月・・・
ただ静かに祈りたい・・・
広島原爆で亡くなった26万人のためにも、あの戦争で亡くなった日本人310万のためにも、あの戦争で亡くなった関係各国の人々2000万人のためにも・・・
ただ静かに祈りたい・・・
広島原爆で亡くなった26万人のためにも、あの戦争で亡くなった日本人310万のためにも、あの戦争で亡くなった関係各国の人々2000万人のためにも・・・
※コメント欄オープン。
当時もう母が亡くなって姉を母親代わりに慕っていた叔父は、戦後満州で中国人に殺されましたが、最後に叫んだ言葉が「ねぇちゃ~ん」だったとか・・・・・
あの戦争さえなければ、死ななくて済んだ命でした。
そんな命が消えていくことが、今なお世界で続き、そしてなんとなく戦前の道を歩いている今のこの国に、決して起きてはならないことです。
平和こそ宝・その宝は日本国平和憲法の精神です。
ブログをやって、海老名香代子さんの本を読んでいても、悲劇が語られれていました。
小学校時代、満州から引き揚げてきた子が何人かいました。お父さんが殺された子もいました。
8月9日はナガサキ原爆の日でもあるし、ソ連参戦の日でもあります。
戦争は殺し合いであることを若い人に知ってもらうことが願いです。