比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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上州路を行く・・大戸の関所・・信州街道?

2008-05-05 | 旧街道・峠道・旧宿場
上州路、大戸の関所に来ました。関所の門が道路際に芝居の大道具みたいに立っています。もちろん往時のホンモノではなく復元したものでしょう。通り抜けはできません。ただそれだけです。関所ですから宿場風の建物があるかと思えばそれはありません。


関所の能書き・・・

「大戸の関所」たぶん誰も知らないでしょう。国定忠治ゆかりの関所ですが国定忠治って誰?いまはテレビ時代劇にも出てきません。

「国定忠治」(1810~1851年)。本名長岡忠次郎、苗字があるということは豪農の出でしょうね。現伊勢崎市国定(JR両毛線国定駅あたりか?)出身。江戸時代後期の暴力団の組長、博打場の主催で寺銭を稼ぐのが生業です。暴力でテリトリーを広め広域化していきます。当時は博打は公営でも公認でもありません。関東取締出役(八州さま)の取締りの対象になります。関所の強行突破(たぶん顔パスでヤアとかいって通っていたのでしょう)や刃傷沙汰で指名手配になり逃亡の果て中風を患いお縄に。罪状は大戸の関所破り、当時は罪を起こした所轄で刑の執行をするのが定法のようで大戸の関所で磔の刑にされます。

それにつけても上州というところはギャンブルに縁があるところ(前橋競馬、高崎競輪、伊勢崎オート、桐生競艇)ですね。女性は働き者(カカア天下)だそうです。

ここは信州街道、五街道を除く街道の名前はお上が決めていません。土地の人の言い慣わしです。上州の人は信州街道といい信州の人は大笹街道といいました。長野県須坂市北国脇街道福島宿から菅平高原、鳥居峠、大笹の関所、大戸の関所、高崎八幡宿で中山道に合流する路。山の中ですがこのほうが距離が短く北国街道、中山道より煩雑のことがないためコストが低くおさえられ物流路としては主街道でした。もちろん道路財源で作った閑散とした道路ではありません。

このあと12:00までに高崎の「群馬の森」に行って青空の下で群馬交響楽団の演奏を聴いて帰りました。「昭和の日」の1日でした。


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