5月23日、信州は今日も雨だった。朝早く起きても何もすることがない。東塩田村古安曾(現上田市)の知合いの家を訪ね、それから帰路につく。急ぐことはないし、日曜日の朝早くの道は空いています。腰越、長窪古町、峠を越えて立科町蟹窪、芦田、望月、野沢・中込(佐久市)、ここからは富岡街道とか中山道姫街道とかいわれる内山峠を超えて、下仁田、富岡、藤岡に、ここで高速道に入り、昼飯は家で。
中山道芦田宿。海抜約720m。街路灯。
中山道、江戸時代、五街道といわれた江戸幕府道中奉行管掌下の公道(一級国道)です。古くから東山道など、中部山地を越えて都から東国への道はあったのですが、家康江戸入府1590年から11年目の1601年江戸幕府は公道の整備にかかります。公共事業、インフラ整備です。五街道以外の主要道は藩の管理の脇街道・・・県道ですね。
中山道69次、532km(宿間平均7.7km)、芦田宿は江戸から26宿目。佐久平を横断する中山道の軽井沢宿から芦田宿まで9宿+間の宿1宿、約40kmで宿間平均4km。短いです。千曲川超え、冬季の雪など難儀はありますが、わたしは宿から上がる収入(権益)の分散ではないかと思います(むかし新幹線の駅をまるで人のいないところに作った政治家がいました)。旅人にも宿が多いほうが便利で安心です。
宿場・・・いまのホテル街とは違います。幕府が定めた条例に従って本陣、宿問屋・宿役人、駅馬・人足を置き幕府公用の駅逓業務を行います。もちろん民間の宿泊、輸送も扱います。幕府の管理下ですから勝手な場所にホテル街を作ることはできません。ほかにいろんな定めごとがありますが省略。
ここは国道254号線142号線が合流した幹線道路から外れた元芦田宿。かなりきつい勾配で東に向っています。普通の生活をしている街並みです。町の中央あたりに「本陣土屋(県宝)、味噌・醤油・酢屋茂、金丸土屋旅館」がありわずかに往時の宿場の雰囲気を感じさせます。
急ぐ旅ではないのですが雨も激しいので通過するだけにしました。
というわけで、元芦田宿の写真はこれ1枚です。こういう写真を撮るとき気を使いますね。人影を写して生活観、臨場感を出したい・・・でも人物はなるべく顔を特定されないよう写したい、建物・施設・・・歴史的なもの、公共・公有のもの、宗教建造物、観光地化したところなどはいいと思いますが、個人宅は失礼のないように撮りたい。街は美しく撮りたいものです。
機会があったらゆっくり歩きたい。元芦田宿から東に一つ目の元茂田井宿(間の宿)も訪れたいところです。
中山道芦田宿。海抜約720m。街路灯。
中山道、江戸時代、五街道といわれた江戸幕府道中奉行管掌下の公道(一級国道)です。古くから東山道など、中部山地を越えて都から東国への道はあったのですが、家康江戸入府1590年から11年目の1601年江戸幕府は公道の整備にかかります。公共事業、インフラ整備です。五街道以外の主要道は藩の管理の脇街道・・・県道ですね。
中山道69次、532km(宿間平均7.7km)、芦田宿は江戸から26宿目。佐久平を横断する中山道の軽井沢宿から芦田宿まで9宿+間の宿1宿、約40kmで宿間平均4km。短いです。千曲川超え、冬季の雪など難儀はありますが、わたしは宿から上がる収入(権益)の分散ではないかと思います(むかし新幹線の駅をまるで人のいないところに作った政治家がいました)。旅人にも宿が多いほうが便利で安心です。
宿場・・・いまのホテル街とは違います。幕府が定めた条例に従って本陣、宿問屋・宿役人、駅馬・人足を置き幕府公用の駅逓業務を行います。もちろん民間の宿泊、輸送も扱います。幕府の管理下ですから勝手な場所にホテル街を作ることはできません。ほかにいろんな定めごとがありますが省略。
ここは国道254号線142号線が合流した幹線道路から外れた元芦田宿。かなりきつい勾配で東に向っています。普通の生活をしている街並みです。町の中央あたりに「本陣土屋(県宝)、味噌・醤油・酢屋茂、金丸土屋旅館」がありわずかに往時の宿場の雰囲気を感じさせます。
急ぐ旅ではないのですが雨も激しいので通過するだけにしました。
というわけで、元芦田宿の写真はこれ1枚です。こういう写真を撮るとき気を使いますね。人影を写して生活観、臨場感を出したい・・・でも人物はなるべく顔を特定されないよう写したい、建物・施設・・・歴史的なもの、公共・公有のもの、宗教建造物、観光地化したところなどはいいと思いますが、個人宅は失礼のないように撮りたい。街は美しく撮りたいものです。
機会があったらゆっくり歩きたい。元芦田宿から東に一つ目の元茂田井宿(間の宿)も訪れたいところです。
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