比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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中山道・・・笠取峠の松並木

2010-05-31 | 旧街道・峠道・旧宿場
信州佐久平横断の道の中山道は芦田宿を過ぎて笠取峠を越えて依田川の谷間に下りて長窪宿、そして和田宿、和田峠、下諏訪宿と続いていきます。そちらのほうに行く気はありませんが、芦田宿のすぐそばの笠取峠の松並木を見ていくことにしました。

街道の松並木・・・箱根、日光に代表される並木道、一里塚などのランドマーク。
1601年から五街道の整備を始めた江戸幕府が1604年「街道に並木道を」という植樹プロジェクトを発表します。幕府は小諸藩に753本の苗木を下賜、小諸藩は村々から人足を集めて植樹、つまり地方公共団体による公共事業です。以来、明治に至るまで植樹や手入れを繰り返してきましたが現在に残るのは72本だそうです。
現在、中山道に残る松並木はここ笠取峠と関が原だけらしい。東海道では保土ヶ谷、大磯、御油が有名。

芦田宿から約1km、笠取峠の松並木・・・と石柱が立てられている。通り抜けできません。

金命水・・・旅人が喉を潤した。立場茶屋によれば何がしかのお金がいるがこれはタダです。
そのむかし小松屋なる立場茶屋があった跡らしい。

立場茶屋・・・お芝居、映画、テレビ時代劇でおなじみ。「亭主 ジャマしたな」とお侍が小銭を置いていく・・・あれです。公道ですから認可制です。立場茶屋はお茶、団子の提供程度のようです。客を宿泊させることは許可されていません。それでも行き倒れの緊急避難などはお目こぼしされたでしょうね。峠の茶屋といえば餅屋です。これも認可制です。和田峠の東餅屋、西餅屋、甲州街道笹子峠の餅屋などが有名です。立場茶屋と宿場の中間の位置に間の宿というのがあります。中山道では吹上、久下田、茂田井など・・・公認ではなく宿泊もいけないわけですが、いずこも立派な旅籠が並んでいたようです。非公認の公認状態だったのでしょう。そうしないと宿泊客の収容数(キャパ)をカバーできなかったかもしれません。

鉄平石の敷き詰められた・・・峠道・・・らしく見えますね。車両進入禁止です。

笠取峠の頂上(海抜約900m)はさらに2kmぐらい行ったところにあります。笠松峠の松並木の散歩は車を停めて碑文などを読んだだけ。少し歩き回れば馬頭観音、道祖神があったようです。こういうところは足で歩かなくてはダメですね。
笠取峠とは笠も取るくらい暑かったといいます。冬もソウだったのですかね。雁取峠だったともいいます。雁の渡りの通り道だったのでしょうか。刈敷き、秣の刈取り場だったかも。
雨の中です。本日はこれにて終了。




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