1945年8月15日は「あの戦争」(第二次世界大戦・太平洋戦争・日米戦争)が終わった日、正式には日本が世界の連合軍が提示した「ポツダム宣言」を受諾して無条件降伏を昭和天皇が国民に発表した日です。
「終戦記念日」なんていいますが(わたしもそういいたいが)、戦争に負けた日です。
昭和天皇が1945年8月15日正午、NHKラジオ放送で放送した「終戦の詔勅」です。
大人たちはこれを聞いて「とにかく戦争は終わったんだ」と分かったようです。14日の御前会議で天皇の聖断でポツダム宣言の受諾が決定しましたが陸軍の一部は徹底抗戦を叫んで宮城占拠を試み、玉音放送の阻止を企みますがすべて未決に終わります。15日の未明には鈴木首相邸に暗殺隊が押し掛けますが、間一髪で難を逃れました。
「終戦の詔勅」・・・読んでみました。難解な熟語とカタカナの文語体の文章です。ワカリマセン?
教育漢字や当用漢字で育ったわたしには「読めない」「意味がワカラナイ」。
わたしなりに対訳してみました。
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
※私(朕)は深く世界の大勢と日本の現状を考えたうえで緊急の措置をもって現在の情勢を収めようと思い、ここに忠実・善良なるあなたたち(爾)国民に伝えます
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
※私は日本国政府に米・英・中・ソの4国に対してその共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを指示しました。
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所
※そもそも国民の平穏無事(康寧)を図り世界繁栄の喜びを一つにすることは代々の天皇家の遺してきた手本であり私の常々(拳々)心にとめてきたことです
曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
※先(曩)に米英二国に宣戦をした理由も日本の自立とアジア各国の安定を願うからであり他国の主権を侵し領土を侵略することは、もともと私の思うことではありませんでした
然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
※しかしながら戦争は四年を過ぎ、陸海軍の戦い、官僚の努力、国民の活動、最善を尽くしているが戦況はよくならず、世界の大勢も日本国に有利になっていません
加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
※そのうえ敵は新しい残虐なる爆弾(原子爆弾)を使用して多くの罪なき非戦闘員をも殺し、その被害の範囲は測ることができないほどです
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
※このうえなおも交戦を続ければ、しまいには日本国は滅亡するだけでなく、人類の文明をも破滅させるでしょう
斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
※そんなことになれば私は多くの国民を守ってき代々の天皇家の対してどう謝罪すればよいのでしょう、以上が政府に対してポツダム宣言を受諾するよう指示した理由です
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
※私は日本とともにアジアの解放に協力してくれた友好国々に対して残念だと思う心を表さずにはおられません
帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク
※日本国民として、戦場で斃れた人、職場で殉職した人、天命を全うせず命を失った人々と遺族に思いを寄せれば身も心も引き裂かれる思いです
且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
※さらに傷を負い被害に遭い家や仕事を失った人々の健康と生活をも深く心配しています
惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
※これからの日本の受ける苦難の道はたいへんなものだと思います
爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
※国民の想う心は私もよくわかります。でも私は現状に即して「耐えるところは耐え我慢するところは我慢して」世界の未来のために平和を築いていきたいと思います
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
※私は国家国体を守ることができ、忠実・善良な国民の真心を信じ、常に国民と共にあります
若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
※もし感情の激するままに問題をおこしたり仲間同士を排斥したりして、情勢を悪化したりすれば道を誤り世界から信用を失うことになり、私はしてはいけないことだと思います
宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
※国が家族のように一つになり国の不滅を信じ責任が重く道は遠いですが総力を将来の建設のために傾け道義を大切にその思いを固く守り国体を奮い立たせ世界の本流から遅れないようにしてください
爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
※国民の皆さん、これらの私の真意を思い実現してください
御名御璽
※文章ではなく上の写真のように、天皇の署名捺印のこと。
昭和二十年八月十四日
この中でわかったこと。
★「其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告」・・・ポツダム宣言(無条件降伏を提示)受諾を内閣に指示したということ。無条件降伏とは「負けました」と相手にいうことです。終戦ではありません。ポツダム宣言⇒クリック
★「残虐なる爆弾」・・・広島、長崎に落とされた核兵器のことです。「人類ノ文明ヲモ破却スヘシ」とも書いてあります。その通りです。次に核兵器が使われたとき・・・人類の滅亡です。核シェルターなんて気休めです。
★「非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク」・・・昭和天皇の気持ちだったのでしょうか。非命とは天寿を全うしない人の命。あの戦争で320万人余が太平洋でアジアの国々で大陸で北の大地で・空襲で・・・亡くなったことに思いを馳せればこの言葉の意味がわかってきます。
「海行かば水漬く屍 山行かば草むす屍」・・・鎮魂のメロディーが浮かんできます。
★タラ・レバ・・・ですが・・・
「ポツダム宣言」日本には7月26日に来ています。そのとき即答していレバ・・・
広島・長崎の原爆も。ソ連軍の8月9日からの中国東北部(旧満州)への進攻も・・・なかったかも?
出版社「理論社」の元社長小宮山量平は長編小説「千曲川四部作」の中でこう書いています。
・・・今更のように惜しまれる命の散華であった。せめてあの東京大空襲以前に《天の声》があったなら、欲を言えば昨秋のレイテ沖海戦の直後に、そして第二次の学徒動員の前後に、「戦争の完遂に関する声明」ではなく「戦争終結の詔勅」の如きものが発せられタラ・・・
「終戦記念日」なんていいますが(わたしもそういいたいが)、戦争に負けた日です。
昭和天皇が1945年8月15日正午、NHKラジオ放送で放送した「終戦の詔勅」です。
大人たちはこれを聞いて「とにかく戦争は終わったんだ」と分かったようです。14日の御前会議で天皇の聖断でポツダム宣言の受諾が決定しましたが陸軍の一部は徹底抗戦を叫んで宮城占拠を試み、玉音放送の阻止を企みますがすべて未決に終わります。15日の未明には鈴木首相邸に暗殺隊が押し掛けますが、間一髪で難を逃れました。
「終戦の詔勅」・・・読んでみました。難解な熟語とカタカナの文語体の文章です。ワカリマセン?
教育漢字や当用漢字で育ったわたしには「読めない」「意味がワカラナイ」。
わたしなりに対訳してみました。
大東亜戦争終結の詔書(終戦の詔勅)
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
※私(朕)は深く世界の大勢と日本の現状を考えたうえで緊急の措置をもって現在の情勢を収めようと思い、ここに忠実・善良なるあなたたち(爾)国民に伝えます
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
※私は日本国政府に米・英・中・ソの4国に対してその共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを指示しました。
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所
※そもそも国民の平穏無事(康寧)を図り世界繁栄の喜びを一つにすることは代々の天皇家の遺してきた手本であり私の常々(拳々)心にとめてきたことです
曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
※先(曩)に米英二国に宣戦をした理由も日本の自立とアジア各国の安定を願うからであり他国の主権を侵し領土を侵略することは、もともと私の思うことではありませんでした
然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
※しかしながら戦争は四年を過ぎ、陸海軍の戦い、官僚の努力、国民の活動、最善を尽くしているが戦況はよくならず、世界の大勢も日本国に有利になっていません
加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
※そのうえ敵は新しい残虐なる爆弾(原子爆弾)を使用して多くの罪なき非戦闘員をも殺し、その被害の範囲は測ることができないほどです
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
※このうえなおも交戦を続ければ、しまいには日本国は滅亡するだけでなく、人類の文明をも破滅させるでしょう
斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
※そんなことになれば私は多くの国民を守ってき代々の天皇家の対してどう謝罪すればよいのでしょう、以上が政府に対してポツダム宣言を受諾するよう指示した理由です
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
※私は日本とともにアジアの解放に協力してくれた友好国々に対して残念だと思う心を表さずにはおられません
帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク
※日本国民として、戦場で斃れた人、職場で殉職した人、天命を全うせず命を失った人々と遺族に思いを寄せれば身も心も引き裂かれる思いです
且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
※さらに傷を負い被害に遭い家や仕事を失った人々の健康と生活をも深く心配しています
惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
※これからの日本の受ける苦難の道はたいへんなものだと思います
爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
※国民の想う心は私もよくわかります。でも私は現状に即して「耐えるところは耐え我慢するところは我慢して」世界の未来のために平和を築いていきたいと思います
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
※私は国家国体を守ることができ、忠実・善良な国民の真心を信じ、常に国民と共にあります
若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
※もし感情の激するままに問題をおこしたり仲間同士を排斥したりして、情勢を悪化したりすれば道を誤り世界から信用を失うことになり、私はしてはいけないことだと思います
宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
※国が家族のように一つになり国の不滅を信じ責任が重く道は遠いですが総力を将来の建設のために傾け道義を大切にその思いを固く守り国体を奮い立たせ世界の本流から遅れないようにしてください
爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
※国民の皆さん、これらの私の真意を思い実現してください
御名御璽
※文章ではなく上の写真のように、天皇の署名捺印のこと。
昭和二十年八月十四日
この中でわかったこと。
★「其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告」・・・ポツダム宣言(無条件降伏を提示)受諾を内閣に指示したということ。無条件降伏とは「負けました」と相手にいうことです。終戦ではありません。ポツダム宣言⇒クリック
★「残虐なる爆弾」・・・広島、長崎に落とされた核兵器のことです。「人類ノ文明ヲモ破却スヘシ」とも書いてあります。その通りです。次に核兵器が使われたとき・・・人類の滅亡です。核シェルターなんて気休めです。
★「非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク」・・・昭和天皇の気持ちだったのでしょうか。非命とは天寿を全うしない人の命。あの戦争で320万人余が太平洋でアジアの国々で大陸で北の大地で・空襲で・・・亡くなったことに思いを馳せればこの言葉の意味がわかってきます。
「海行かば水漬く屍 山行かば草むす屍」・・・鎮魂のメロディーが浮かんできます。
★タラ・レバ・・・ですが・・・
「ポツダム宣言」日本には7月26日に来ています。そのとき即答していレバ・・・
広島・長崎の原爆も。ソ連軍の8月9日からの中国東北部(旧満州)への進攻も・・・なかったかも?
出版社「理論社」の元社長小宮山量平は長編小説「千曲川四部作」の中でこう書いています。
・・・今更のように惜しまれる命の散華であった。せめてあの東京大空襲以前に《天の声》があったなら、欲を言えば昨秋のレイテ沖海戦の直後に、そして第二次の学徒動員の前後に、「戦争の完遂に関する声明」ではなく「戦争終結の詔勅」の如きものが発せられタラ・・・
※コメント欄オープン。
あらためて勉強しました。
大勢に人に参考になればと・・・次の世代の人への参考になればと・・・掲載しました。
終戦前日の御前会議・・・3対3・・・最後に天皇が1票を投じることになりました。戦争継続の票が多かったら、天皇はどうにもならなかったでしょう。つまり天皇はただの1票でした。
開戦のときの天皇の責任、会議が開戦に満票だったから天皇はどうにもならなかったでしょう。
天皇がお飾りであったことがわかります。
今、講和条約前後の天皇の語録が話題になっています。
「深く反省」という言葉が政府によって消されたそうです。
「非命に斃れたるもの」・・・310万人、アジア地区で2000万人・・・太平洋戦争の結末です。
こうして書いて頂き、解説までつけてくださり、良く理解できましたが、全文を見たのも初めてです。
本当に難解で全く判読できませんが、解りやすく解説して頂き感謝です。
印刷して、孫に見せようと思います。
・敗戦忌 非業の死者の骨帰る
この句が、ジッ~ンと来ます。
非業とは天寿を全うしない死のことです。生きていれば恋もしたろうし「、家族と楽しむこともできたであろう。
「お国のために」という言葉・・・今もワカリマセン。
民あっての国です。
アルプス8/2
「春の白馬山麓・・・北安曇野・白馬村・・・雪解け水を集めて・・・姫川の清流」
を使わせてもらいました。
雪景色、≪5行歌≫1服の清涼剤として。
事後承認になり相済まない。
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