比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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天草の旅・・・大江天主堂

2007-12-24 | 道を行く 九州の諸道
天草の旅、島原が目と鼻の先の鬼池港から西海岸、通称ロザリオ街道?を二江、富岡、下田温泉、高浜、大江とやってきました。天草灘と山、集落に入るとわずかですが水田も広がります。

大江天主堂です。狭い谷の傾斜を切り開いた丘の上に立つ白亜の教会です。
1892年(明治25年)着任したルドビコ・ガルビニエという神父が私財をなげうって1933年(昭和8年)に完工したものだそうです。
ブーゲンビレアが花盛りです。


ここは海岸を離れた山ふところの集落です。むかしだったら峠を越えたところですが今はトンネルでアッというまにに通過します。観光施設ではありません。普通の教会です。信徒でなくても入館は自由です(撮影は禁止)。募金箱がありますが入館者の気持ち次第です。静かに中に入りました。一人の老婦人が祭壇の周りの花に水をあげていました。

天草というと隠れ切支丹という言葉が浮かびます。島原・天草の乱により島の人口も信徒も激減します。洗礼を授けるパードレもいなくなりました。祈りの言葉も意味不明の密教の経文のようになり表向きは仏教徒として明治の世まで信仰は引き継がれてきました。信仰の力って凄いです。

明治時代の新詩歌運動の旗手与謝野鉄幹が主宰した雑誌「明星」、この同人5人(与謝野鉄幹、北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、平野万里)が旅した紀行文「五足の靴」。天草の富岡から大江までの紀行が有名なんだそうです。北原白秋「邪宗門秘曲」は私も知っていました。

   われは思う 末世の邪宗 切支丹でうすの魔法
   黒船の可比丹を 紅毛不可思議国を
      (後略)

何となく意味はわかったようなわからないような詩ですが胸がわくわくするような異国ムードがあります。。この大江天主堂には吉井勇の歌碑があります。

途中、高浜という集落を通りました。高浜焼きという磁器で有名です。ここの磁器は朝鮮磁器と異なり18世紀の後半この地の庄屋である上田家が家産を傾けながら地場産業として開発したもののようです。
話が飛んで瀬戸の磁祖として窯神神社に祀られている加藤民吉、民吉は磁器の技術習得のため1804年天草本渡の東向寺の天中和尚(三河の人らしい)を頼ってこの地に来たといわれます。高浜で磁器の技術を習得したか有田に入って技術を盗んだかは定かではありません。
時間があればマグカップの1つも思いましたが時間がなくて通過だけでした。

埼津の天主堂
方面に向かいます。


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