信州上田の・・・六文銭の写真帳
中山道34番「奈良井宿」・・・日本海側に流れる奈良井川、太平洋側に流れ木曽川、その分水嶺鳥居峠の北側の麓の奈良井宿・・・峠越えの手前ということもあって奈良井千軒といわれ大いに栄えた宿場だったそうです。 天保14年(1843年)の「中山道宿村大概帳」によれば、宿内家数は409軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒で宿内人口は2155人であったと記されているそうです。奈良井千軒といわれらにしては旅籠5軒、何かの間違いでしょうか。
町並みは天保4年(1834年)の大火のあとは、幕末から、明治、大正、昭和と大火に被災することなく、幹線国道、幹線鉄道が明治の時代にバイパス化したため奇跡的に旧態のまま残りました。宿場通りに見られる鍵の手道路(枡形)が5か所、水場が6ヶ所。伝統的な建造物群を守るための「まちづくり規制」があり、よく保全された町並みは1978年国指定重要伝統的建造物群保存地区に登録されています。
標高930m、この町を過ぎるとすぐ標高1197mの鳥居峠への道がはじまります。
民芸お土産たかしまさん、お蕎麦相模屋さん、お土産大坂屋さん、お焼きてずからさん・・・
水場。
あぶらや・・・油屋から宿旅籠に、廃宿後は煙草商など営んでいたが1960年代から御宿に。その先の花野屋は木工品、漆器、曲げ物屋さん。
※撮影日は11月26日、
※コメント欄オープン。
いや、いや懐かしいですね!!
そしてこの宿は、とてもこじんまりと言いますか整っていてよいし町並みです。
此の水場の上から下りてきました。
奈良井峠の秋の盛りでした。
峠を下って来ると、奈良井宿が見えたり隠れたりし、むかしの旅人は「宿が見える……」ときっと草鞋が脱げると小躍りして内心喜んだ
事でありましょう。
・ 奈良井宿出はずれくれば太鼓橋
億しょん基金登君かな
奈良井峠に非ず⇒ 鳥居峠でした。
奈良井宿・・・京から江戸に下る旅人が鳥居峠を越えてホッとするのが奈良井千軒。
・奈良井宿 二階から招く 白い手が
通りには電信柱もなくて、映画のロケにできますね。
木曾路・・・奈良井宿・・・にまったくアンマッチですが、まあいいでしょう。
錦帯橋は40年に一度大改修をするそうですが、ここはどうするのでしょうね。
電柱を撤去して自動販売機、エアコン室外機などを表通りから隠し、看板の規制、建物の塗装色を規制、かなりの規制でそれらしくしてあります。
標高900m、狭小の土地、農業はダメ、林業は衰退、生きる道の模索でしょうね。
住民の努力をリスペクト。
コメントありがとうございました。
素朴な歌「木曽は山の中」に惹かれてCDを買いました。それを歌う葛城ユキさんから手渡しされました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/70ddf58cfce05b6e2fa4f6a90b23936d
> 「平和を訴えるもの」として風化してほしくないですね。
戦争は日本の平成時代に起こらず幸いでした。こんな世なのに、愚かな種がくすぶっている気がするのはどうしたことでしょう・・・❔
「木曾路はすべて山の中・・・」
「司馬さんは夢の中」
どちらもイイコピーです。いずれ使ってみたいです。
いつか木曾路を尋ねてみてください。白川、五箇山とちがった不思議な世界が広がります。
コメントありがとうございました。