電話がうるさく鳴っている。
妻に出るかどうか目配せすると、
「何かのセールスでしょう。放っておきましょう」と言う。
やがて、プツリと鳴りやんだ。
確かに、家の固定電話にかかるものは、
あれやこれやの勧誘話がほとんどだ。
たまに、怪しげな話も紛れ込んでいたりするので、
それもあり用心が先立ち受話器を取らなくなる。
今は一人一台と言われる携帯電話、あるいはスマホの時代だ。
知人、友人、家族からの電話は、ほぼこれである。
あるいはLINEでパッパッと用件を伝え合う。
我が家において、固定電話の唯一の出番はFAXだが、
それもほとんどが、パソコン、スマホのメールに取って代わられている。
おそらく多くの家庭が似たような状況のようで、
「家に固定電話は不要だ」と言う人たちが
随分多くなっているのも当然な話だろう。
だが、何事においても便利さには必ず代償が伴うものだ。
さる懇意にしている経営者の話だが、
社内で若い社員と接していて、
最近こんなことを強く感じるという。
「今の若い人たちは、固定電話を使ったことがほとんどないはずです。
この固定電話での相手は、たいてい見知らぬ人ですよね。
それだと、自然と敬語を交えて会話することになります。
そこで、意識しないまま社会における言葉遣い、
マナーを学ぶことになるわけです。
でも、今は携帯電話の時代ですからね。
相手は、主に友人、知人、家族といった、
いわば気安い人たちでしょう。敬語を使う必要もない。
だから、対等の相手として馴れ馴れしく話す、
つまり、ため口になってしまうんですね」
「就職し、会社の上司、あるいは取引先と、
そんなため口でやり取りするとしたらどうでしょうか。
受け入れてもらえるはずがありませんよね。
本人は、『間違ったことは言っていない。
なのに、なぜか分かってもらえない』とジレンマに陥り、
それが悩みとなっているケースが案外と多いんですよ」
便利になることは、基本的にはよいことである。
だが、見えないところでその分のマイナスも
潜んでいることを承知しておくべきだということだろう。
パソコンでこの一文を書いている。
手書きすることはほとんどなくなった。
そのせいか以前は間違いなく書けていた漢字が、
正確には書けなくなってきた。
これもその類の話か。