小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

タラワ島嶼海戦に想う=太平洋ギルバート諸島での叔父の戦死

2011年09月08日 | 社会戯評

華々しい硫黄島での玉砕のことを、本や映画で、目にする度に、その2年程前の1943年(昭和18年11月20-28日)に、行われた南太平洋の遙か彼方、ギルバート諸島のマキン・タラワ海戦で、玉砕したと伝聞される叔父、父の兄の手紙を想い出す。既に、亡くなった父は、自らも戦争体験があったものであるから、今は亡き母を伴って、一度、タラワ島嶼へ、遺族会主催の慰霊訪問団の一員として、昔、現地の慰霊祭に、参加したことがある。父方の家は、幸いに、静岡県掛川市掛塚で、戦災を免れ、お陰様で、明治・大正時代からの生家の写真や、一族の赤ん坊の頃の写真も、残っている。それらの写真を、当時、未だ、新しい技術だったデジタル写真加工して、父が、亡くなったときに、アルバムを、スキャンし、CDに、焼き付けた。その時に、偶然、祖母のが、大事に、保管していた写真の中に、一枚の叔父の写真と、手紙が、見つかった。それは、まさに、恐らく、戦死公報一枚のみで、何一つ、骨も、土も、入っていない唯の箱だけを貰った祖母の唯一の形見であろうことだけは、よく、理解出来た。その文面には、最前線での島嶼警備に、当たりながら、南の島で、イカだと思って釣り上げたものが、クラゲで、非常に、残念がっている叔父の絵入り手紙(蒸し暑い艦内で、夜の11時に、書かれた、国民精神総動員の刻印された軍用付箋)からも、その心情が、よく分かる。いつの日か、そのように、生き、どのようにして、南太平洋のタラワ島嶼で、果てたのかを、この目で、見てみたいものである。ネット検索をしていたところ、http://www7.ocn.ne.jp/~yagiko/index.html タラワ慰霊巡礼の旅(祖父の戦没地であるギルバート諸島タラワ島での巡礼参拝の記録)というサイトを目にした。それによれば、その方のお祖母様の死をきっかけに、その夫であり、戦死したお祖父様の足跡を辿る巡礼参拝の記録を残しておきたいとおもい、サイトを立ち上げたものだそうです。戦後世代の私の娘と同じような世代が、こうした戦争体験の継承作業を、行い始めたことは、大変意義深いことと思います。それにしても、デジタル化で、戦場で描かれたクラゲの絵までも、見事に、蘇るとは、驚きです。尖閣列島の事件で、今日、島嶼防衛戦略が、重視され始めているが、60有余年前の叔父の死は、どのように、生かされるのであろうか?