小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

連帯保証人になるということの意味=一枚の葉書に想う起業家のリスク精神

2011年09月28日 | 社会戯評
よく、亡くなった父から、生前、先物取引と連帯保証書には、判子を押すなと言われたものである。立場上、コピー機のリースを契約することになり、契約書に、捺印するとき、同時に、個人連帯保証人の捺印を要求され、支払い月額が、たいしたことなかったので、退任後も、すっかり、そのことを忘れていた。最近になって、突然、葉書で、支払いの督促状が、もう、何年も経ってから、舞い込んできた。内容をよく読むと、慇懃無礼に、支払いを督促して貰いたいという内容であった。気にも止めずに、暫くいると、再度、同様の通知が舞い込んできた。結局、その会社は、後日、分かったことであるが、破産申告を裁判所に、準備中で、少額のリース代金を、最期に、支払わなかったものと判明した。いずれにせよ、少額だったから、未だ、救われるが、これが、長期住宅ローンや、会社の融資取引の個人連帯保証書だったりしていたら、ことは一大事である。それにしても、個人連帯保証書の契約は、一方的なもので、まともに、内容を読んだら、判子など押せるような白物ではない。しかしながら、現実的には、判子を押印しなければ、多額の融資も、リースすら、おりないのが現実である。これでは、まともに、リスクを背負って、起業しようとする若者は、永久に出てこず、結局は、親の地盤・看板・金庫を、引き継がなければ、設備投資を伴うようなモノ作りの起業は、到底、難しいことになろう。東南アジアにゆけば、相続税もなく、金持ちに生まれた人間は、金持ちの道を歩み、太子党は、親達の既得の特権を、そのまま、継承し、エリートは、子や孫の代までも、変わらず、経済利権と特権を享受している。誠に、日本という国は、隣の大国(?)と異なり、異様な位に、民主的平等という仮面を被ったガチガチの硬直した法治国家である。決して、若いときではなかったが、独立、起業して以来、再度、又、異分野で、起業しようという意欲は、もはや、現状では、起きそうにない。もう、守りに入ると、急には、簡単に、攻めに、転じられない。日本の国の仕組みは、一体、どうなってしまったのであろうか?若い起業家は、IT以外の分野で、果たして、出てくるのであろうか?もう、第二の本田宗一郎は、日本では、出てこないのであろうか?セーフティー・ネットも大切だが、起業家精神をもつ若い人材を、輩出、サポートするようなシステムが、望まれてやまない。