皮肉にも、徳川側についた真田信之が、松代へ、移封され、93歳まで、藩主として、生き延びたお陰で、真田一族の名前が、連綿として、受け継がれ、3代(幸隆・昌幸・幸村)の生き方が、400年余り経過した今でも、人々の記憶の中に、こうした祭りとして、残っていることが窺える。同じ関ヶ原でも、敗れた石田三成は、裏切りにあい、一族もろとも、歴史の闇の中に、葬り去られたが、佐和山では、その遺徳は、果たして、伝承されているのであろうか?幸村・信之の対照的な死にざま・生きざまに対して、三成の豊臣への忠義は、徳川の250年余に亘る治世の中で、葬り去られてしまったのか?日本人の歴史的な人物評価には、興味が尽きない。松本城を初めて、訪れたときに、「火縄銃」の伝播の歴史展が、開かれていたが、その当時の日本人職人の技術水準の高さ、各種銃、各地毎の製法技法の発展、火薬の開発、打ち方、使用戦術の多様化など、当時のテクノロジーの進歩とその伝播の早さには、舌を巻いたものである。今の世にも伝承されている鉄砲隊の演舞は、空砲とはいえ、その火薬の発射音だけでも、当時のよすがを、想像させるのに十分である。色々な生き方・死に方が、それぞれ、武者行列の中には、恐らく、悲喜こもごも込められていたのであろうかと、当時に、想いを馳せざるを得ない時間と空間であった。400年前の歴史の一瞬に、タイム・スリップ出来たことは、貴重な経験である。コスプレも歴女も、戦国おもてなしたいも、よしとしよう。天気に恵まれ、半年遅れでも、実行されたことは、何よりでした。