その昔、「ピンポン外交」と言うものがあったが、スポーツでも、芸術でも、文化ですら、何でも、外交の一手段に、ソフトパワーとして、したたかに、使われるものであることを、思い知らされたことがある。台湾出身のテレサ・テンは、「私は、どこに暮らそうと、チャイニーズである」と、自己主張し、北京の天安門広場で、唄を歌うことを願っていたが、それは、「天安門事件」と、その後の彼女の政治的な民主化を願うメッセージ性のために、結局、実現されなかった。「昼は、鄧(小平)が、支配し、夜は、別の鄧(麗君:テレサ・テンの中国名)が、支配する」として、当時は、唄が、禁止された。しかし、結局、彼女の唄は、密かに、聴かれ続けた。秋葉原の「オタク文化」、や、「カワイイ」、「Cool Japan」も、「アニメ文化」も、「韓流ドラマ」も、基本的には、官製文化輸出の枠内でしかないのであろうか? したたかな反日教育政策の裏側で、或いは、尖閣列島問題で、ギクシャクした日中関係の打破に、音楽すらも、外交カードに、使用されるとは、日本の外交官は、どう考えているのであろうか?日本の政治や経済の力が、一定程度、影響力を失い、漂流する中で、一体、中国語で、歌われた唄のメッセージ性は、何だったのであろうか?「夜空の向こう」には、一体、何が、見えたのであろうか?そして、中国の市民に、とりわけ、反日教育を受けて育った若者に、どういうメッセージ性を、伝えることが出来たのであろうか、抜け目なく、公演のDVDは、間違いなく、海賊版で、今日にも、発売され、誰かが、ボロ儲けすることは、言を俟たない。ヒタヒタと、欧州発の危機が、近づいているが、、、、、、、。