【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

手作り石鹸推進/『暮らしの中の洗浄』

2009-07-12 17:27:28 | Weblog
 プロより素人の方が良い製品が作れる、という主張?

【ただいま読書中】
暮らしの中の洗浄』辻薦 著、 地人書館、1994年、1500円(税別)

 人は昔から水でものを洗ってきました。水はとても良い洗浄剤ですが万能ではありません。そこでまず灰が洗浄剤として使われたと考えられています。灰に大量に含まれる炭酸カリウムのアルカリ水溶液が油脂やタンパク質系汚れの除去に有効だったのです。泥土も用いられました。固い微粒子による研磨力と懸濁液がアルカリ性であることを利用しています。またモンモロナイト系の粘土は吸着力に優れていて、古代ローマから毛織物の洗浄に広く用いられていました。そういえば「洗車に粘土を」とテレビの番組でも宣伝していましたっけ。ゼオライトという粘土はイオン交換性能があり、硬水を軟水化するのに用いられています。洗髪剤として粘土を、は世界各地で(日本でも)行われているそうです。植物の樹液も広く用いられました。特にサポニンを含んだもの(サポンソウ、ムクロジ、サイカチ、トチノキ、エゴノキ、椿、茶など)は洗浄力が優れています。米のとぎ汁も、デンプンやタンパク質のコロイド成分が洗浄力を発揮します。日本では、米糠・豆の粉・ウグイスの糞などが昭和まで肌洗い粉として売られていました。
 旧約聖書に「石鹸」が登場しますが、これは灰汁(あく)を固めたものと考えられています。紀元前2500年前のメソポタミアの粘土板には現代の石鹸に当たるものが薬用で登場します。ローマ時代には「ブナ樹の灰と山羊の脂肪」でつくられた石鹸の記載があります。石鹸製造にはアルカリが不可欠ですが、北アフリカの天然ソーダのような鉱床がなければ、日常で得られる灰を用いるしかなかったのでしょう。1791年にルブラン法(食塩から炭酸ナトリウムを得る)ができて石鹸製造に革命が起きます。日本に石鹸が登場したのは南蛮渡来の「シャボン」からでしょう。正倉院御物に「シャボン」がありますが、著者はその正体は蜜蝋ではないか、と推測しています。
 どんな動植物油脂でもアルカリを作用させて鹼化すれば石鹸になりますが、もちろん油脂によって向き不向きはあります。また、鹼化しただけで得られるのは、石鹸とグリセリンの混合物です。そこに食塩を加えてグリセリンを分離させれば純石鹸が得られます(工業レベルでは副産物としてグリセリンが回収できます)。ちなみに水酸化ナトリウムが残存した場合、空気との接触で一部は穏和な炭酸ナトリウムに変わることが期待できますが、それでも残ったものはお肌を傷めアルカリに弱い布地を損傷するおそれがあります。なめてみて刺激的な辛みを感じたら、それは水酸化ナトリウムが残存している証拠だそうです。
 合成洗浄剤の登場は19世紀まで遡ります。オリーブ油を濃硫酸で処理した後アルカリで中和したトルコ赤油(染料)がその起こりです。ついで様々な油から同様の硫酸化塩がつくられ、第一次世界大戦中のドイツで石炭を材料とした合成洗浄剤が初めて開発されます。1930年には高級アルコール系の硫酸化塩が登場します。日本では第二次世界大戦後鯨油を原料とした高級アルコール系洗浄剤が作られましたが捕鯨制限で廃れます。ただしこの洗浄剤は「毛糸や絹には中性洗剤」という概念を日本の家庭に定着させた功績があるそうです。さらに石油を原料とした合成洗浄剤が昭和25年に日本に上陸します。
 そうそう、中国では食品を洗うための合成洗剤を売っているというのが最近ニュースになっていましたが、日本でもありました。昭和31年に衛生局環境衛生部長名で「食品関連業者、一般家庭でこの洗剤を積極的に使用するように」という通達が出されています。で、その毒性に関して激しい議論が行われたそうです(是としたのは、役所とメーカー。非としたのは一部学者と社会運動家)。
 洗浄と環境に関する章で著者はまず水について取り上げます。それほど「きれい」でなくても良い生活用水にまで日本では最高品質の上水が配水されていますが、その必要があるのか?と。さらに、洗浄とは汚れの分離ですが、それは結局環境に負荷をかけることになります。環境での水質の悪化です。石鹸は合成洗剤よりは環境負荷は少ないのですが、欠点もあります。そのため、琵琶湖条例で石鹸推進を行った滋賀県では、粉石鹸のみを使用する家庭が昭和55年には70%まで増えたのに昭和61年には40%に減少していました。「環境か生活か」ではなくて「環境も生活も」でないと、運動の普及はなさそうです。