【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

無宗教/『弔ふ建築』

2009-07-14 18:49:04 | Weblog
 日本人は無宗教だ、と言われたり、宗教に寛容と言うより無節操、と言われることもあります。たしかに「釈迦も八百の神々の一人」なんてことを平気で言うのは、「寛容」をはみ出ているような気がします。
 ただ、我々の「先輩」である中国人も実はけっこうそんな面があります。「儒教・道教・仏教は実は同じもの」なんて思想があるのです(三教合一、と言ったと思います)。本地垂迹説も真っ青ですね。西洋でもスコラ哲学という、キリスト教とアリストテレス哲学の合一の試みがありますから、どこでも似たことをやっている、と言えば言えるのですが。

【ただいま読書中】
弔ふ建築 ──終の空間としての火葬場』日本建築学会 編、鹿島出版会、2009年、3400円(税別)

 本書でまず登場するのはインドのガンガー(ガンジス川)です。聖地ヴァラナシには火葬場や死を迎えるための館もあります。というか、ヴァラナシ市という「街が火葬場のために存在する」のです(市当局のことば)。
 次はチベット。天葬(鳥葬)です。これは、天界に転生するためにハゲタカの上昇力を借りるという信仰心・燃料の欠如・土葬が困難な岩石と凍土、というものが組み合わさってできた葬礼でしょう。
 インドでは、著名人とイスラム教徒以外は墓を作りません。イタリアにはなかなかモダンな共同墓地がいくつもありますが、カソリック教徒が多いため火葬が前提の立体的な納骨堂には空きが多いそうです。さらにヴェネツィアには丸ごと墓地の島があります。墓がペストの原因と考えられ、死者を「隔離」するためにサン・ミケーレ島が墓地専用とされたのだそうです。
 ベルリンのバウムシューレンヴェク・クレマトリウムは、巨大な円柱が木立のように林立するホールが印象的です。写真で見ると、人工と自然、生と死が一体となった雰囲気です。
 スウェーデンでは1920年代から火葬が増え、ストックホルムの森林墓地スコーグシュルコゴーデンには1935年に火葬場建設が決定されました(完成は40年)。火葬された遺骨の半数は、森に散骨されるそうです(場所を特定されない(そこを「墓」とされない)ために、遺族にはどこに撒いたかは秘密にされます)。
 弘前市の斎場は、地元を大切にしています。信仰心が篤く、火葬場にも僧侶が同行し、拾骨が重要視されていることや、死後すぐに火葬にしそのあと禅寺で葬儀を行うから式場が不要であることなどが設計に生かされています。集まった人たちは死者を肴に酒を飲みにぎやかに振る舞うため、酒を飲むことが多い待合室は火葬棟から離され、間をつなぐ渡り廊下がスロープとなって「現世」と「来世」をつないでいます。
 日本は「火葬大国」です。火葬率は99%。ちなみに「法律で土葬が禁じられている」はデマです。法で定められた感染症での死者以外には火葬の義務はありません。火葬場の多さも日本の特徴で、最も古い統計である大正三年の衛生年報では全国に36156ヶ所となっています。以後は減少の一途ですが、それでも2007年には5004ヶ所となっています。
 公営の火葬場ははじめは木造の寺院風の建築が主流でしたが、やがて鉄筋コンクリート造りとなります。また昭和になるとヨーロッパ式の火葬場も作られるようになりました。ただし、ヨーロッパでの火葬は「合理的な遺体の処理方法」でしたが、日本では伝統的な葬法であることから、欧米の火葬場そのものを直輸入することは避けられました。
 火葬場では、会葬者の動線が設計の重要な因子です。会葬者は告別・見送り・待合い・拾骨と動きますが、さらに別の火葬が重なると話は複雑になります。そこまで考えて“渋滞”や“混雑”が起きないように設計する必要があります。さらに遺族の感情をそこに加味しなければなりません。その設計や建設は地方自治体の業務で、国からは補助金は出ません。したがって、整備がどうしても後回しになる面がありますが、同時に各自治体の創意工夫が発揮される面もあります。本書で紹介されている近江八幡市の例はたいへん面白いものです。専門家だけではなくて住民が広く参加するワークショップ方式で設計が練り上げられていきました。それによって火葬場が嫌悪施設ではなくて文化施設となり、竣工後には市民や子どもたちが見学に訪れる見学会が行われました。これはとても良いことに私には思えます。自分または家族が必ずいつかはお世話になる施設なのですから。