【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

選択肢

2011-10-03 18:49:31 | Weblog

 大失敗をして「もう死ぬしかない」と思い詰める人は、「死にたい」のか「自分を罰したい」のか「逃げたい」のか、どれがメインの理由なのでしょう。もし「死にたい」のだったら、それは止めることはできそうもありません。せいぜい、周囲に迷惑をかけず本人には楽な死に方を考えるくらい。「自分を罰したい」や「逃げたい」だと、「自殺」以外にも別の選択肢があるような気がするのです。

【ただいま読書中】『溺れた巨人』J・G・バラード 著、 大谷圭二 訳、 創元推理文庫815、1971年、180円

 先日『ガリバー旅行記』を読んで本書のことを思いだしたものですから、自宅の階段下に検索をかけたら、すぐに出てきました。
 「市」のそばの浜辺に流れ着いた、ギリシア風の風貌を持つ巨人の死体。その巨大さは、軽く曲げた膝の下を人間が楽にくぐれるくらいです。しかし、大きな騒ぎは起きません。人々はみな「自分の領域内の行動」だけをします。若者ははしゃぎ、警察官は交通整理をし、学者は首を振り、市の職員は片付けをどうしようかと計算を始めます。そして、物珍しさが収まった頃、今度は“商業利用”が始まります。肥料会社などが巨人の死体の解体をはじめ、死体はどんどん削られて無くなっていくのです。そしてしばらく経つと、骨盤などが海岸に残るだけ。人々の記憶もまた、どんどん薄れていってしまいます。
 これがアメリカSFだったら「大騒動」が起きるべき“事件”ですが(「巨人」の科学的解明、どこから来たかの探究、巨人の出現による国内外への影響、などなど)、ここでは「ほとんど何も起きない」ことが特徴となっています。この「静けさ」はなんだ、と当時の読者は思ったことでしょう(少なくとも当時の私は思いました)。
 今回読んで私は「小野小町九相図」(美人が死に、その屍骸が腐り野犬が食い、最後に骸骨だけとなる時間経過を示す図)のことを思っていました。死後の変化の残酷さを描写した絵図のようにも見えますが、実は「これが自然なのだよ」と言っているのかもしれない図です。そして、バラードの態度もまた、この「小野小町九相図」に通じるところがあるのではないか、と思っています。私も少しは成長しているのかもしれません。